井崎 英乃
大きな岩の間をものすごい勢いで流れる水。初めて聞く川の叫び声。その様子は、川が怒っているものなのか、それともおたけびを上げながら踊っているものなのか。あまりの激しい水の様子に、私はただ見つめることしか出来ませんでした。
どのような日本語でなら、この様子を表現することができたのでしょう。
凄い?美しい?なんだかちょっと違う気がしてなりません。そんなことを考えている隣で、アメリカから来た留学生のT君から出た言葉は、
「Amazing」
T君に意味をたずねると、 Beautiful や、 Wonderful よりもっと素晴らしい様子だと教えてくれました。
家に戻り辞書で調べると、『驚く。びっくりする。』そのような意味しか書いてありません。何だかとてもがっかりしてしまいました。そんな言葉では、あの渓谷の様子を表現できないと思ったからです。あの時T君の口から出た言葉には、きっと辞書にはないそれ以上の意味が込められていたと私は思っています。
岩手県一関市厳美渓。
自然が作った渓谷です。
はるか昔からずっと、この地を水が流れ続けているのだと思うと、簡単な日本語で表現をしてはいけないような気がしてなりません。
どれだけの人がこの渓谷を見て、どのような言葉で表現をしてきたのでしょうか。
それからずっと、あの渓谷を表現する日本語を私は探しています。まだ私の知らない日本語が必ず何かあるはずです。その日本語を遣って、厳美渓のような自然の素晴らしさを表現できるような大人の女性になりたいと私は思っています。
大人になった時の私の目に、厳美渓はどのような姿で映るのでしょうか。今と同じような目で、心で見ることができるでしょうか。
自然は、一瞬にして姿を変えてしまうもの。そのことは震災を通して学びました。また、その一瞬、一瞬によって姿を変えることも私は知っています。
でも、この10歳の時に見た厳美渓の姿。T君や家族と一緒に見た厳美渓は、一生私の心のアルバムに残ることと思います。
それから大きな思い出がもうひとつ。厳美渓の渓谷に張ったロープを渡り、対岸にいる私たちの手元に届いたかっこうだんご。だんごはカゴに乗ってスルスルとすべるようにやって来ました。カゴの中には、だんごの他にお茶が人数分入っていて、一滴もこぼれずに届いたのです。
厳美渓は私に、課題と思い出を残してくれました。いつかまた、この課題の解答を持って厳美渓を訪れたいと思います。
その時まで、変わらぬ姿でいてください。
See you again。
●厳美渓を見て、その美しさを表す適切な言葉が見つけられなかった筆者。今はまだ知らない日本語が必ずあるはずと思い、その美しさを表現できるような女性になりたいと誓う。
●川の水の激しい情景描写をはじめ、「言葉」を大事にしており、しっかり書けている。作品自体に言葉に対する筆者の感受性の強さが表れている。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。