宮本 知明
木曜日のお昼のことだった。
「ミヤモト、楽しんでる?そろそろ日曜日のことについて話をしたい。」
モンチェさんは、そう言うと、
「こっちに来てから色々なステージを見てきたと思うけど、どこでショーがやりたい?」
私の中で久しぶりに気が引き締まった。ラウフォートに到着して3日間、浮世離れした生活が続いていたが、少しずつ仕事モードに戻していく必要がありそうだ。ヤンから、ここは時々物凄く風が強い日があると聞いていた。ジャグリングという芸は、物を空中に投げ続けるという性質上、風が強過ぎると披露できないエンターテイメントである。当初心配していたが、こちらに来て以降、幸い穏やかな日が続いている。これなら大丈夫だと思い、
「屋外のメインステージでやります。」
と答えた。モンチェさんは気丈に笑いながら、、
「グッドラック!。 それじゃあ、スタッフにそう伝えておくわね。」
と言って車椅子を動かして行った。
私はぐっと拳を握りしめ、金曜日から少し遊びを控えめにし、日曜日に良いコンディションで迎えられるように練習と体調管理を行っていった。
夢のような日々があっという間に過ぎた。今まで行った仕事先、旅行先とは今回は全く違う。もともとどちらかと言えばインドアな私にとって、テント暮らしは日本でもほとんど経験がない。しかも日本語を全く話さずに、1週間暮らすのも初めてのことだったし、ここまで異文化コミュニケーションを四六時中楽しんだ日々も記憶にない。素晴らしい時間を最高の思い出にするためにすることは只一つ、良いショーをすることだ。さあ最後の一仕事をしてこい! 私は自分に言い聞かせて日曜日の午後を迎えた。
ところが、それは天のいたずらか、思いも掛けない問題が降りかかってきた。ここへ来てずっと穏やかだった風が、午後から急に強くなってきたのである。会場の外れにある風力発電用の風車が豪快な音を立ててぐるぐると回り始めている。
やってくれるね、お天道様。そんな事を考えながらまずは、ふーっと深呼吸をした。代わりの策を練らねばならない。とりあえずこの風は当分止みそうにない。っとなると屋内のどこかの場所を見つけるしかない。サーカステントはあるが、物置き小屋と化していて、あと四時間で撤去してもらうのもなかなか厳しい。他のテントはジャグリングショーを行うには天井が低すぎる。そこで私は教会のステージに目を付けてみた。ここの会場は天井が高く、屋内で風も来ないので場所としては最適である。その反面、夜はDJパーティで盛り上がるが、明るいうちはガランとしていてお客さんはほとんどいない。私の出番は午後8時からで前述の通り、まだヨーロッパは日が明るく教会内は人気の少ない時間帯だ。しかもこのフェスティバル会場は広い上、場内アナウンスもない。だが客寄せの問題はあるにせよ、とりあえず、教会内で行うしかなさそうだ。モンチェとスタッフに早速話に行った。
「わかりました。教会で行うように取り計らいましょう。」
彼女は迷うことなく快くOKしてくれた。問題はどうやって教会に人を集めるかという部分だったが、フェスティバルのプログラムを見る限り、私のすぐ前の時間に教会の隣の屋外ステージで、アイリッシュバンド演奏があることが分かった。私はしばらく考え込んだ。そしてぴーんとひらめいた。そうだ!彼らに教会でショーがあることをアナウンスしてもらえばいいんだ。
気付けば私はバンドを探しに走り出していた。ちょうど運よく彼らはステージ裏で待機していたので早速お願いした。
「OKOK!」
本番一時間前だった。あとは彼らを信じて待つしかない。
舞台上をヤン、モンチェさん、スタッフさんに手伝ってもらいセットして、私は出番を待った。すぐ外で、バンド演奏をしているため、教会の中は案の定ガラガラだ。バンドの人たちは無事にアナウンスをしてくれるだろうか?8時を大幅に過ぎて不安になってきたので外を眺めてみると、バンド演奏はだいぶ押しているらしかった。
もし、ガラガラの会場で全く盛り上がらずに終わってしまったらモンチェさんやヤンを始め、せっかく協力してくれたスタッフの人達に申し訳が立たないし、何より自分が後悔する。いざとなったら自分が外の舞台へ行って呼び込みをするしかないと覚悟を決めて、私は目を閉じた。
「みなさん、どうもありがとう! これから教会で日本のジャグリングショーが始まります! どうぞ皆さん中へ!」
突然その声が聞こえた。バンドさんの声だ! ありがとう! その声が聞こえると同時に、300人ほどの人達が教会に入ってきて会場は瞬く間に埋まってくれた。本当にありがとう! 私は心の底からアイリッシュバンドに感謝し、気持ちを切り替えた。あとは自分のショーをするだけだ! 音楽が鳴り始め、私は舞台に立った…。
* * * * * *
あれから2か月が経つが、舞台の上のことは、観客の大歓声以外、実はよく覚えていない。終わった後、モンチェさんやヤンとハイタッチを交わし、色々なお客さんと写真を撮った。様々な人が声を掛けてきてくれて、知らないおばあさんからキスをされそうになったことは覚えている。ショーが成功だったかどうか、自分では分からないが、お客さん一人ひとりが、それぞれ色々な感想を持ってくれていることだろう。それでいい。でも、後日頂いたメールは最高にうれしかった。
「ラウフォートへ来てくれて本当にありがとう。今でもあの時の教会のショーの話で皆持ち切りです。また来年お会いできるのを楽しみにしています。
モンチェより」
あの素敵な日々は何だったのだろう? 目を閉じると、出会った人々の顔、建物、その場所の空気、様々なものが心を駆け巡る…。また来年会えるよう、モンチェさんの健康と皆の幸せを心から願っている。
※宮本さんは現在、アーティスト名「ミヤム」として活動中
ジャグリングのパフォーマーである筆者は、オランダのラウフォートという町のお祭りでショーを行うことになった。現地ではホテルの用意もなく、共同テントでの生活。だんだんと異文化とのコミュニケーションにも慣れ、ショー本番を迎える頃にはその日々を楽しむようになっていた。交流の楽しさがとてもよくいきいきと伝わってくるエッセイであり、旅の醍醐味が素直に表れている。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。