会員サービス
海外旅行
国内旅行
テーマから探す旅行
旅行関連サービス
法人・組織のお客様
トップ > JTB地域交流トップ > JTB交流創造賞 > 受賞作品 > 交流文化賞(組織・団体対象) > 「花嫁のれんのまち」のと・七尾 一本杉通り 「語り部処」でふれあい 「茶の間の観光」
嘗ては、能登の銀座通りと云われ、ネオンサインまで設置して賑わった一本杉通りも、昭和42年(1967)バイパスができ、更に、田舎でも大型店の時代に入り衰退して36年。古いものを残してまちづくりをしようと立ち上がったのが、今から9年前のことです。 登録有形文化財を、450mの一本杉通りに5軒申請してまちづくりに活用するとともに、幕末から明治時代初期の頃より加賀藩だけに伝わる花嫁のれんを、一本杉通りの商家、民家に飾る「花嫁のれん展」を開催。のれんの町として注目され観光、視察とお客さんも増え、通りも元気になって来ました。人口減少の著しい田舎で、交流人口を増やすことを目標に、楽しいまち、ふれあいのまち、若者が帰って来るまちづくりを目指しています。
平成15年(2003)古いものを残してまちづくりをしたらと、アドバイスを戴き、早速、一本杉町町会で平成16年(2004)450mの一本杉通りに5軒の登録有形文化財を申請してまちづくりに取り掛かることになりました。 同時に、立ち上がったのが町内の女将さんグループ「Oh Godの会」の5人でした。提案は、加賀藩だけの庶民の風習で、婚礼の当日花嫁が持参して、嫁ぎ先の仏間の入り口に飾り、それを潜りご先祖にお参りをする花嫁のれんの展示、「花嫁のれん展」でした。婚礼の時に使われてその後はほとんど箪笥の中に眠っているものでした。その大きさは、約180cm四方の大きなのれんで、それを民家、商家の屋内に飾って、風に揺れるのれを見ながら語りをしたのです。それぞれののれんには、作って持たせた親の思い、あるいはそれを潜った花嫁の思いなど物語が一枚一枚にあります。 第1回の4月29日から母の日までの11日間は、あっという聞に終わりました。30数年ぶりの賑わいに、期待もしていなかったので驚きました。古着だと思っていた花嫁のれんは、女性の宝だったのです。市内・近在だけでなく県内各地やお隣富山県からのたくさんのお客さんで賑わいました。毎年4月29日から母の日まで開催することに決めました。第2回花嫁のれん展から、町内、一本杉通り振興会も全員元気が出て来て、初日「花嫁道中」に「開幕式典」にと盛り上がることになり、お客さんも通りを埋めるほどに賑わうことになりました。 1年、1年の思いで毎回続けて、気づいてみたら、来年は第10回を迎えることになりました。 今年の第9回花嫁のれん展も期間中やがて10万人にもなるイベントとなりました。その間、平成19年には、名古屋展、20年には、東京展、昨年23年には関西展とのれんとともに出かけ語りをしてきました。各地ともとても好評で、本番の一本杉展にたくさんの方に来て戴いて、再会を喜び合う場面も毎回見られるようになりました。第2回目から、県庁を始め県内のマスコミへのキャラバン隊も始まりました。今では、富山県、愛知県、岐阜県へとキャラバン隊に出かけるようになりました。今年の2月には、2年後に北陸新幹線開業に向けて、東京の女性雑誌社8社を訪問して、七尾の特集を組んで戴くようにお願いに回ってきました。お陰で、早速1社取り上げて戴き、取材が終わったところです。一方、平生も、観光、視察の人たちが「のれんのまち」と云うことで一本杉通りを訪れるようになりました。観光スポットのない商店街なので、のれん展で語りが受けたので、平成17年3月「語り部処」を設けました。これはそれぞれの店に、「語り部処」の看板を掲げ、お客さんとふれあい、お話をしようと「茶の間の観光」を始めました。旅の人も住民も同じ扱いで、お土産として買って戴く商品も地元の人と同じものを買って戴く。自分の商品を語り、商品を高める努力をしています。昨年10月行政のお陰で、「花嫁のれん館」が試験的にオープンしました。現在は、予算もなく、運営は語り部処22軒が、1週間ごとに交代で、観光客の案内、館の開け閉め清掃を担当しています。