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小さな村のコンサート
能勢 健生
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ある日の夕方、田圃のあぜ道で農作業をしていた役場の人から、我が家で最近仔牛が生まれたので見に来ないかと声がかかり、そのお宅におじゃますればそのまま酒盛りになった。牛小屋で仔牛を見ていたときに、どこからともなくピアノの音が聞こえてきたのだ。聞けば、奥さんが村の子供達にピアノを教えているとのこと。この時、私の頭の中では、バイオリンを弾く友達がやってくれば、ピアノとバイオリンとのアンサンブルが可能だとひらめいたのだ。そして、折角だから村で知り合いになった何人かに声をかけてみようと思い立った。この思いつきを、教育長さんに相談したところ、ならばいっそのことこの村でコンサートでも開いてみたらいいという話に発展していったのだ。こうした思いつきで開かれた一回目のコンサートはバイオリンとピアノだけのささやかな催しに過ぎなかった。それでも30名ほどの村人が来てくれたのだ。

(イメージ)

こんなちょっとした切っ掛けが発端になり、新庄村での小さなコンサートは多くの村人の後押しをいただきながら、細々ながら持続していくことになったのである。新庄村での一ヶ月滞在という私の旅は、こうして思わぬ広がりをもたらしてくれたのだった。正直にいえば、半分は物見遊山であり、近くに点在する温泉三昧を楽しんでみようと目論んでもいたのだが、結果的に見れば、村人との思わぬ交流が「一ヶ月滞在の旅」を何倍にも楽しくそして意義あるものに変えていってくれたことになる。

次の年の正月、ピアノを弾いてくれた方から年賀状が届いた。そこには今年も桜の咲く頃にコンサートが開けたらいいのだが、としたためられていた。

私がこの村でのコンサートを継続させているのには理由がある。それは、初めて滞在したときに、多くの村の方々から沢山の情けと親切をいただいたからに他ならない。そうした親切に少しでも恩返しができればとの思いがあった。そこで、コンサートは無料で開催していたのだが二回目からは、老木古木になっている桜の樹木治療に当てるチャリティーにしてはどうかと提案。それを冠にしたチャリティーコンサートに衣替えすることに決まった。小さな山里で開かれるクラシックコンサートはきっともの珍しいものだったに違いない。しかし、今となっては桜の季節になると、この小さな村でのコ ンサートは当たり前の行事になってきたのである。

3回目からは出演者が増えた。ソプラノ歌手の参加もあり、その人の提案から午前中には小・中学校でも演奏会を開くことになった。学校側も音楽の授業の一環と位置づけていて、学校を挙げてその体勢を整えてくれるようになった。去年からは岡山県在住のプロの演奏家も参加してくれるようになった。こうして毎年、午前は子供達のために、そして夜は村人のために演奏会が開かれるまでになっていた。

毎年コンサートを終え自宅に戻り、しばらくすると小学校一年生から中学校三年生までの全員からお礼の手紙が我が家に届くのだ。来年もこの村に来て演奏を聞かせてほしいなど、生徒が来年も心待ちにしている気持ちが伝わってくるのだ。ある生徒からは「クラシック音楽は興味がないので寝るのにちょうどいいと考えていたけど、生の演奏を聞き始めると眠ることをすっかり忘れ最後まで聞き入ってしまいました」という内容の手紙もあった。こうした手紙が私の背中を押してくれていることは確かである。

4回目からは「がいせん桜チャリティー 小さな村のコンサート」を正式名称にした。

まだ見ぬ日本を訪ね、そこで一ヶ月滞在する私の旅は、このような思わぬ副産物をもたらしてくれることとなった。それはいくつかの偶然と、様々な人の思いが結びついたからに他ならない。何よりも村の人達がコンサート開催に向けて汗を流してくれることである。会場の確保、看板の制作、花々で会場を飾る、事前にポスターとチラシを作り熱心に配布してくれたりするのだ。私一人では絶対にできないことである。仕事や作業の合間をぬってまで開催に向けて動いてくれるのだ。こうした協力のおかげで去年よりも今年が、と徐々にではあるがコンサートがその形を整えていく様がじかに伝わってきて、私はこんな展開もあるのだと感動さえおぼえている。継続は力だと言われる。私は、このような小さな山里で、ほんの思いつきから始まったコンサートが何年も続くとは思ってもいなかったのだ。

最初は何の縁もない新庄村だったのだが、気がつけば今では私の人生から外せない村になっている。毎年、桜の季節になると岡山県新庄村に出かけていく楽しみももらえたし、村でも一年に一度のコンサートの開催を心待ちにしていてくれるのだ。

こうした旅に出かけていった私は「旅」とはいったい何だろうと考えている。

そして、一人の人間の生き方に関わる「旅」もあるのだと思っている。

コンサートが開催されたこの7月、田圃は緑一色に染まっていた。満開の桜とは趣を異にする初夏の光景が新庄村に広がっていた。この村はきっと四季を通じて美しいのだろう。コンサートが終演すると、夜が遅いにもかかわらず慰労会が開かれるのだが、そこで飲む酒が私には人生で一番美味しい酒になっている。

今年のコンサートで集まった義捐金(約10万円)は村役場を通じて、福島県の飯舘村に寄附することもできたのだ。

私の新庄村滞在の旅はまだ続いている。



評価のポイント

現役引退をきっかけに始めた田舎暮らし。そこで生まれた人と人、音楽の交流がたった30人の演奏会から始まって6年、今では村の人々が心待ちするコンサートへと広がった。一夫婦の旅が文化の交流へと繋がったことを描いた作品。


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※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。