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トップ > JTB地域交流トップ > JTB交流創造賞 > 受賞作品 > 交流文化体験賞 一般部門 > フランス、もうひとつの家族
最後の夜、私たち合唱団のメンバーと受け入れ先のメンバーはいつもの練習所に集合し、お別れパーティが開かれた。仲良くなったばかりの友達同士だから些細なことで盛り上がり、大声で笑い合った。本当に楽しい時間だったが、それは矢のように早く過ぎていった。会がお開きになる時、先生の合図で「蛍の光」が合唱された。蛍の光はもともとスコットランドの民謡で、日本語の歌詞とは違い「また会う日を楽しみに!」という歌詞が付けられている。私たちは肩を組み、泣き出しそうになるのを必死に堪えて歌った。再会は楽しみだけれど、その前にはどうしたって別れが来る。いつまでもこの楽しい時間が続いてほしいと思っていたが、別れはもうすぐそこだった。その晩、リビングでママに「日本に帰って家族に会うのが楽しみ?」と質問された瞬間、この家族とともに暮らす日々が本当に終わりを迎えたと気付き、悲しみが心全体に染み渡った。私の心は暗く小さくなり、その瞬間涙が溢れてきた。たった一週間だったが、この家はわたしにとって「我が家」になっていたのだ。 次の日の朝、家を出る時、集合場所までの車の中、別れの時、私の涙はもう出なかった。頭の中も心も顔も泣いていたのだが涙はもう流れない。あぁ「涙が枯れる」とはきっとこのことをいうのだな。強すぎる悲しみに、心が潰れそうになっていた。 家族と離れて二日後、シャルル・ドゴールにまで見送りに来てくれたのは私たちの家族だけだった。もう会えないと思っていたから、大きな驚きが嬉さに変わり、残りの時間をむさぼるように笑顔で過ごしたが、やがて感情は悲しみに変わる。本当のお別れだ。出国ゲートで最後に見たセドリックは「Don’t cry」と言いながら必死に自分の涙を隠そうとしていた。私はその時彼らに出会えて本当によかったと思い、またここに帰ってくることを誓った。本当に幸せな時間だった。 ・・・あれから3年。合唱団を卒団した私達は、彼らに会うため、再びシャルル・ドゴール空港に降り立った。 空港まで迎えに来てくれたのは、ママではなくセドリックだった。準備を進めていたときは、ちゃんと会えるかとても心配だったが、懐かしい笑顔にほっと胸を撫で下ろす。久しぶりに交わす頬と頬を付ける挨拶。私はこの挨拶が好きだ。会えなかった長い時間も遠い距離もすぐに埋まるようだ。すぐに打ち解けスーツケースと共に“我が家”へ向かった。 まだよく覚えている道を通って家へ向かう。近づくにつれてそわそわしだす気持ちを、表情を硬くして落ち着かせる。いよいよ門の前に着き車から降りると、懐かしい犬の鳴き声が聞こえた。門をくぐった先で待っていた笑顔を見て、一気に自分の顔が緩んでいくのを感じた。演奏会の会場で家族を見た時、心が晴れていった感覚が甦った。パパとママは少し老けたかな。フローリンは一回り大きくなった気がする。感激に浸る間もなくまたビズの嵐。ママは「どうしてもっと早く帰ってこなかったの」と言って3年前と同様、暖かく迎え入れてくれた。 フランスの家族は3年前とは状況が変わっていた。いつもパパの車で駅まで送ってもらっていたセドリックは、自分で働いて買った自慢の愛車で空港まで迎えに来てくれていた。彼は昨夏、料理の勉強のため半年アメリカで過ごし、流暢な英語を話すようにもなっていた。私は彼の成長ぶりに驚いた。3年前、食事や送り迎えの世話をしてくれたのは、みんなパパとママだったのに、今回その役目はみんなセドリックだ。到着した日の夜、再び見たパリの夜景は、すっかりジェントルマンに成長したセドリックと共に写真に収められた。 セドリックはその後も仕事を休み、私たちに付きっ切りで一緒に遊んでくれた。夜遅くまで出掛け、疲れに負けて眠ってしまう私たちをちゃんと家まで連れて帰ってくれる。ディズニーランドで自分用にフィギュアのお土産を買うようなところは前と変わっていなかったが、自分のレストランを持ちたいという夢を語ってくれた彼の成長はとても頼もしかった。3年前と同じで、未だ自立していない自分にとってそれはとても刺激的だった。彼が大きな成長を遂げた月日に思いを馳せる。 私は、この旅で事前にスケジュールを組み立て、日本にいるときからメールで直接予約をしていた。なるべく自分たちで行動し、家族にできる限り迷惑をかけないように、目的地への行き方も調べてきた。自分で予約したレストランにちゃんと席が用意されていて、黄金に輝くエッフェル塔を見られた時は感動したし、日本でインターネット予約したベルギー行きの切符を手に出来たときの達成感は、今まで味わったことのないものだった。友人の誕生日のために内緒で用意したセーヌ川のクルージングディナーでは、友人のうれし涙を見ることができて大成功だった。セドリックは「よくこんなに自分で用意したね」と褒めてくれた。私も以前より英語は少しだけ上達していたり、自分で旅を組み立てられたり、セドリックほどではないが自分なりに成長を見ることが出来た気がする。若者同士、会うたびに成長したお互いを見られるというのは、とても嬉しいし貴重な機会であったと思う。私たちは、また仲間たちの「蛍の光」に見送られ、刺激と暖かさで満たされ旅を無事終えた。 旅に出るといつも帰るのが嫌になるものだが、私は小さい頃母に「帰りたくないくらいで帰るのがちょうどいいのよ」と言われたことを覚えている。その頃はそんなの大人の理屈だと思っていたが、最近その言葉の意味がわかったような気がする。「帰りたくない」と思って帰るから、また行こうと思う。帰りたいと思って帰路に着く旅ほど悲しい旅はないではないか。だから旅は終わらない。人との繋がりも途絶えることなく続いていく。自分の成長を見せたい人がいる。次はどんな自分を見せられるのか、どんな刺激を受けて帰ってくるのか、とても楽しみだ。この出会いを大切にし、これからもお互い刺激し合える交流を続けたい。