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トップ > JTB地域交流トップ > JTB交流創造賞 > 受賞作品 > 交流文化体験賞 一般部門 > フランス、もうひとつの家族
私が今年の春、友人3人とフランスへ旅行した理由は、3年前にさかのぼって説明しなければならない。当時私たちは高校生で、同じ合唱団に所属している仲間だった。この合唱団では数年に一度演奏旅行に行くことが常となっており、この年はちょうどそれにあたる年だった。フランスとハンガリーへ2週間。有名なノートルダム寺院やベルサイユ宮殿での演奏会もあり、高校生ながらもその機会の貴重さを重く受け止め練習にも熱が入っていた。演奏旅行は2度目で慣れもあったが、今回は楽しみ、緊張感とともに、ひとつ不安な材料が盛り込まれていた。言葉の通じないフランス家庭での“ホームステイ”である。 ハンガリーでの旅程を順調にこなし、演奏旅行も半ばを過ぎた。 今日はパリから車で40分、ノージャン市の市庁舎で1週間お世話になる家族と対面する日。 私は日本を旅立つ前ほどには不安を感じていなかった。仲良し3人組は同じホームステイ先を割り当てられており、時差ぼけと疲労の中で延々続く合唱練習から開放される喜びと、いつもの3人で夜通しおしゃべりできることの楽しみのほうが勝っていたのである。他のメンバーが次々と引き取られていくのを、自分たちの迎えへの期待をこめて眺めていた。 私たちは最後まで残っていた。待ちくたびれて眠くなりかけた時、仕事帰りのお母さんが急いで迎えに来てくれた。彼女は自分と夫の名前を紹介し「お腹は空いてない?家で家族が待っているわ」と説明した。母親らしい落ち着いた笑顔で私たちを気遣ってくれる彼女を見て、私は少し安心した。 家に着くと18歳の男の子セドリックと、14歳の女の子フローリンが待っていた。勉強がよく出来そうな眼鏡の男の子と、そばかすの多い大人びた顔の女の子。これが彼らの第一印象だった。二人ともシャイなのか、日本人を3人も受け入れることに反対なのか、お土産を広げても反応がない。彼らの部屋のドアには、私たちにわかるように自分の名前を漢字に当てはめて書いた紙が貼られていることと、お土産に渡したけん玉をひそかに何度も練習していたことは知っていたが、フランス人はガイドブック通りやはり冷たい人種なのだろうかと、私はまた少し不安になった。 しかし、この出会いが一生の宝物になるとはまだ気付いていなかった。 セドリックは私たちが仲良くしようとそこら中ついて回るのを鬱陶しがり、空いた時間はいつも遊びに出かけてしまった。そんなセドリックと仲良くなったのはホームステイも4日目を迎えたころだった。 その日私たちはセドリックと一緒に犬の散歩へ出掛けた。面倒くさそうな顔をされたが、彼を急かして外へ出た。白く曇った空に透明な風が気持ちよくて、いい散歩日和。私は、この異国の地で触れる新鮮な空気が好きだった。本当にまっさらな「新しいもの」が体全体に入り込み、浄化されていくような気がするからだ。 家族は大きくておとなしいダルメシアンを飼っていた。私たちは、セドリックの学校の近く、小さな川の流れる通りを歩いたのだが、高校生が4人も集まれば話題は自然と恋愛の話になった。しかし、問題は言葉が通じないということ。その時、彼の携帯が鳴った。友人からだったが、その人は英語が話せるらしい。そこで私たちは、ある方法で会話に挑戦した。 まず、セドリックが電話口で私達の口から聞こえた英語を真似て発音する。相手はそれをフランス語に訳す。彼がそれに答えると電話の相手が英語での発音を伝える。セドリックがそれをまた真似て私達が聞き取るのだ。こんなやり取りが30分以上続いた。この不器用で非効率的でくだらないやり取りは、実に滑稽だった。私達はみんなお腹を抱えて笑った。そこからたいしたことは聞けなかったのに、セドリックも大笑いしていた。私は「冷たい人種」だった男の子とこんなにも腹から笑い合えるようになった事に幸福な満足感を覚え、この時間がずっと続けばいいと思った。そばを流れる川からの澄んだ空気が、私の心と時間を穏やかに動かしていた。 その日の夜はセドリックとフローリンにその友達たちとレストランへ食事に行った。コーラで乾杯し、歌を歌ったり、写真をとったり・・・ 言葉が通じないはずなのに夕食の場は大いに盛り上がった。フローリンとは好きな歌手の話で盛り上がり、たのしいおしゃべりは続いた。この一晩で、私たちと彼らの距離はぐっと縮まり、輝く思い出が砂時計のように降り積もっていった。 ある夜、練習から帰宅し遅めの夕飯を取り終えた時、ママから「今から出掛ける元気はまだある?」とたずねられた。時刻は午後10時を回っていた。ママとパパは私達にパリを案内してくれるというのだ。夜遅く外出するというのはいくつになってもわくわくするし、昼間に出掛けるのよりも何倍もお得な気がする。私達は急いで、でもめいっぱいおしゃれして夜のパリへ出掛けた。 エッフェル塔が間近に見える通りで車を降りた時、私は一瞬でパリの虜になった。なんて上品で暖かい光なのだろう。世界中で一番綺麗な宝石たちがエッフェル塔を奪い合っているようなクリスタルの光は存在感満点。街灯と統一されたオレンジの光が骨組みを照らし、宝石の強い主張と調和して、いつまでも私の心を照らした。私は、自分たちも疲れているだろうに、私たちにこんな素敵な景色を見せてくれたパパとママに心から感謝した。それから、自分の住む国を愛し、他人にもその愛を持って接する彼らと見た景色だから、エッフェル塔はより一層美しく見えたのではないかと思った。私はガイドブックにひとつの“ウソ”を見つけてしまったのである。 それから家族は私たちの全ての演奏会を聴きに来てくれた。来てくれるとわかっていても彼らを客席に見つけると心が晴れていった。