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トップ > JTB地域交流トップ > JTB交流創造賞 > 受賞作品 > 交流文化体験賞 一般部門 > カナートの村での約束
水路の脇に車を止めて外に出ると、子供たちが目を大きく見開いてこちらを見ている。おそらくは生まれて初めて見る日本人に驚いていたのだろう、「サラムアレイコム」とIさんが片言のペルシャ語で話しかけると、子供たちはすぐに警戒心が解けた様子で、私たちの周りに集まってきた。「ハージー、ハージー」と呼びかけながら、口々に色々なことを尋ねてくる。言葉は良く分からないが、多分「どこから来たのか」、「何をしに来たのか」、と聞いているのだろう。 「『ハージー』というのは、メッカ巡礼をした人への敬称ですね。メッカに行けるお金持ちの立派な人という意味ですよ」 Y女史が教えてくれた。見知らぬ大人に対して好奇心一杯に近づいてくる人懐っこさと、大人には敬称で話そうとする礼儀正しさが印象的だった。 私とIさんは水路や周りの風景を写真に撮った。草むらに集まっている羊にカメラを向けると、一人の少年が羊のそばに走っていって、何かを大声で言いながら手に持った長い棒を両肩にかついで胸を張り、羊たちの前で嬉しそうにポーズをとった。 「『僕、羊飼いだよ、写真頂戴ね』だって」 Y女史は息を弾ませて戻ってきた少年の肩を軽く叩いて微笑んだ。 荒地にいた子供たちの集まる場所から、私たちは村の集落の方に歩いていった。集落の建物の前にいた子供二人がY女史を見て、「おしん」と叫びながら走っていった。 「『おしんが来た』って走っていきましたね」Y女史が笑って見送った。 日本で放映された「おしん」は世界各国で人気を博したが、イランでも社会現象とされるほどのブームになった。テレビでしか見たことのない日本人女性がやって来たことは村にとっては余程の大事件となるようだった。集落に入っていくと、建物の中から子供たちが飛び出てきて、「おしん、おしん」と叫びながら私たちを取り囲み始めた。素直そうで可愛い子供たちだったが、ゆうに30人以上はいる。写真を撮ろうとすると、男の子はカメラが珍しいらしくレンズを覗き込む。女の子は恥ずかしげに口元をチャドルで隠しながらも嬉しそうに笑いこける。写真に写ることが心底珍しくて楽しい様子で、Vサインのような安直なポーズを取る子供が一人もいないのが微笑ましかった。 しばらくすると、大人の村人達も集まり始め、私たち3人は村中の人々に囲まれたような格好になった。 カナートを見るためにやって来たことを、Y女史が皆に伝えると、村人達は口々に議論し始めた。「カナートのどこを見せるかで言い合いをしている」というY女史の言葉を聞き、Iさんは、日本から持参した学術書を開いて中の写真を村人に示した。30年前の村の写真を見て、村人の間から感嘆の声があがった。 その時、立派な口髭を蓄えた40代半ばと思われる男性が前に進み出て本を覗き込み、写真を指差して顔を紅潮させて早口でまくし立て始めた。 「『この本の写真に写っている子供は30年前の自分だ。俺が日本の本に載ってる』って驚いてますよ」 Y女史の言葉に、今度は私たちが驚いた。本を見ると、村の農作業風景を紹介した写真の中にシャベルを持った10歳くらいの男の子が写っていて、今目の前で喋っている男性の目元や口元には確かに写真の男の子の面影があった。 男性は村人たちの前に進み出て、「この人たちは30年ぶりにカナートを見に来た日本からの客人だ、自分がカナートを案内する」と宣言した。すると騒いでいた村人たちは穏やかな顔で頷き、潮が引くように村人たちは家へと戻り始めた。その態度には、客人の邪魔をしないように、という配慮が感じられ、私は暖かい気持ちになった。 男性は、古びた鉄製の水門や、実際に畑への灌漑に使われている水路を案内して周ってくれた。カナートには豊かな冷たい水が水路一杯にたたえられ、小川のようにゆったりと流れていた。 村を出る時に案内のお礼を言うと、男性は深い皺が刻まれた顔で穏やかに微笑み、少し胸を反らして言った。 「あなたたちが30年前にやって来た時、私たちに『カナートを大切に守ってほしい』と言った。私たちは『そうします』と答え、その約束を守った」 握手をした男性の手は、がっしりと固く、そして暖かい、立派な職人の手だった。この手が30年の間営々と農作業を続け、子供たちを育てて、カナートと自分たちの生活を守ってきた。そう思うと胸が熱くなった。 同時に、私は自分の傲慢さを厳しく窘められた気がした。外食が不味い、娯楽が無い、そんな表面的な様相だけを見て、イランの人の生活を分かった気になっていた自分が恥ずかしかった。遠い昔から地下水を運び続ける古い石造りのカナート。それを使って昔ながらの生活を続ける穏やかな村人。無邪気だけれど家での躾をきちんと受けた礼儀正しい子供たち。そこには、生まれ成長して働き、子供を育て老いていくという人間本来の生活が放つ、単純だが美しい輝きがあった。 村を出る時、私の心の中に、またいつかここに来てあの男性や羊飼いの少年に会いたい、という気持ちが湧き上がった。 何年か、何十年か先のその時、私は彼らに胸を張って何を話せるだろうか。 あの日、カナートの村で、私は村人や子供たちと、しっかりと生き抜こう、という約束をした気がしてならないのだ。