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語りのある街・桜川市真壁町
まちづくり真壁
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はじまり
語りのある街・桜川市真壁町の写真  「うちのまちは何もないよ」このような言葉をよく耳にしますが、私たちのまちでも以前はよく言われていました。
しかし、本当に何もないのでしょうか。これから綴るお話は、“何もないまち”が“語りのある街”に変わった物語です。


第1章 真壁ってどんなまち
 簡単に真壁町を紹介しておきましょう。
 桜川市真壁町は茨城県の西部に位置し、常陸三山(筑波山・足尾山・加波山)の山懐に抱かれた小さな町です。平安時代末期、真壁氏の台頭以後、真壁氏の領地として、また、江戸時代からは笠間藩の飛地として発展してきました。
 市街地には江戸時代初期に作られた町割りがほぼそのまま残り、その町割りの中にたくさんの蔵や門が息づいています。
もともと農業が盛んな町でしたが、明治期以降、加波山から切り出される良質な花崗岩が墓石や燈籠、建築材として使われるようになり、昭和の時代に日本有数の石の町に成長しました。
 しかし、平成になりバブル景気が崩壊すると、石材業も衰退し町は活力を失いました。やがて住民たちは「何もないまち」と誇りまでも失ってしまいました。


第2章 街並みがある(平成5年〜)
このような閉塞感のある時代の中で、一筋の光明が射します。真壁には蔵や門など古きよき建物があると気づいた人が現れました。
 平成5年になると、「真壁に残る蔵や門を保存し後世に伝えたい」と、数名の住民たちが“ディスカバーまかべ”という会を立ち上げました。その当時は「蔵や門を保存して何になる」という見方が大半でしたが、彼らは、街並みフォトコンテストや蔵のコンサート、瓦版の発行を行いながら、少しずつ賛同者を増やしていきました。
 さらに、ほぼ同じ時期に、「商店街に人を戻したい」と仲町商店会が花いっぱい運動を進める一方、仲町の住民有志が空蔵を活用した休憩所をオープンさせました。
 「何もないまち」と誇りを失っていた町の中で、地元に残る蔵や門の保存や活用、花いっぱい運動は、自分たちの手でできることから町をよくしていこうとする有志たちの思いの現れであり、これが真壁再興の第一歩となりました。


第3章 町が動く(平成11年〜)
語りのある街・桜川市真壁町の写真 町でこのような動きが進む中、タイミングよく、国でも「日本に残る古きよき建造物を保存しよう」と有形文化財登録制度が創設(平成8年)されました。
 そして、この制度をいち早く知ったディスカバーまかべが役所に提案し、平成11年、真壁町に初めての国登録文化財(潮田家住宅)が誕生しました。
 以後、役所の積極的な取り組みにより、毎年20棟前後が国登録文化財となり、平成17年には104棟を数え、登録件数は全国で第3位を誇るようになりました。
 また、地元商工会もこの動きに連動するかのように、“商い文化への道”(商工会広域振興対策事業)をまとめ、真壁再興の切り札として閉められたままの旧真壁郵便局の活用が盛り込まれました。
 そして・・・、さまざまな住民、商店主、商工会・行政職員等の思いをのせ、平成15年5月、旧真壁郵便局は“まちづくり真壁”の誕生とともに長い眠りから目を覚まし、まちづくりの場として第2の人生(館生)をスタートさせました。
 街並み保存を核とした真壁町の動きが、新聞や雑誌、テレビ等で紹介されると、それらを見てちらほらと人が来てくれるようになりました。私たちは他所から人が来てくれることが嬉しく、また、それまで街並みの保存に否定的だった人たちにも変化の兆しが見え始めました。
 平成13年には、「心のお土産」を合言葉に街並み案内ボランティアが誕生。また、「この町にはお土産になるものがない」という声に真壁のお菓子屋さんたちが立ち上がり、「和菓子の町真壁をPRしよう」と各店自慢の一品を紹介するマップを作りました。
 さらに、呉服屋の若旦那が造り酒屋の石蔵を借り、真壁で初めてのギャラリー“染織工芸サロン蔵布都(くらふと)”をオープンさせました。蔵布都は日本各地の着物や布を見せるというスタイルで、熱心に説明してくれる若旦那の姿にはいつも感心させられました。蔵布都は私たちにとっても憩いの場であり、多くの仲間が集い、さまざまなアイディアがこの蔵から生まれました。
 気が付くと、街並みを舞台にさまざまな人たちが活動を始めていました。


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※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。