「Always」な島・おぢか
山からの朝日を拝み、庭に出でて畑の幸を頂く。野鳥や野の花から季節を教えられ、真っ赤に染まる夕日の海を眺め、波の音を聞きながらさっき水揚げしたばかりの魚に焼酎を傾ける。ともに杯を酌み交わせば、懐かしい友に出会ったかのように話は弾み、心地よい夜は更けてゆく。
海の幸(豊富な魚種やあわびなど)・山の幸(日本の南の島では珍しい米どころ)に恵まれ太古の昔から半農半漁の暮らしを営んできた小値賀(おぢか)島では、21世紀となった今も昔ながらの暮らしが当たり前のように続いている。九州・佐世保からフェリーで2時間半の船旅を経てようやく到着する離島は、日本の西、アジアの海に浮かぶユートピア。
人々は口をそろえてこう言う、「まるで昭和30年代・40年代の日本にタイムスリップしたみたい!」と。
小値賀は昭和の高度経済成長やバブル景気の中でも、かたくなに自給自足の暮らしぶりとその営みである漁業や農業を守り続け、自然破壊による「開発」と「便利という名の生活の転換」を拒み続けてきた。結果、島外への人口流出は続き、昭和30年代のピーク時に1万人いた人口は、現在は約三分の一の3千数百人まで減少した。そして平成の大合併時代に入ったとき、住民投票によって合併ではなく町の「自立(独立)」を選択した。
島の有志による島活性化の動き、そしておぢかIT協会設立へ
「町の『自立』を選択する」ことは当然、観光・ツーリズムの動きのなかにも表れている。「自然や暮らしをそのまま生かした体験型・滞在型観光による地域振興」を目指した有志を中心に「ながさき・島の自然学校」(自然体験)と「小値賀町アイランドツーリズム推進協議会」(民泊体験)が平成17年度から本格始動。平成19年度には観光協会をあわせて「NPO法人おぢかアイランドツーリズム協会(以下、おぢかIT協会)」を設立、意欲的に未来型の観光を目指していくこととなった。「自然も生活も未開発であるがゆえ、そこには本当に人間らしい豊かな営みと未来の姿がある」というコンセプトだ。
日本でも稀有なフィールド
おぢかIT協会のメイン・フィールドは2つの島だ。
野崎島〜世界遺産候補の「旧野首教会」を擁する「無人島」〜
2008年1月「長崎のキリスト教関連遺産」として世界遺産暫定リスト入りした「旧野首教会」は野崎島の隠れキリシタンの歴史的シンボルである。どこまでも続く美しい白砂とエメラルドグリーンの海が広がる野首海岸、そして廃墟群のなかからそっと野生の九州鹿がこちらを見つめる独特の風景。この島にはかつて人々が暮らし、現在「無人島」となってしまった何とも言えない空気感がある。ノスタルジック、というような表現では到底おさまりきらない、圧倒的な景色。大人も子どもも言葉を失い、しばらくの間、思わず立ち尽くしてしまう。この地でのエコツアーは、歴史・文化・自然を包括しながら、「『生きる』とは?」という大きな問いかけやその答えを訪れる者に与えているようだ。
またこの島で唯一の宿泊施設「野崎島自然学塾村」(おぢかIT協会が管理運営)は旧小中学校の総木造校舎を改修したものである。
小値賀本島〜昔ながらの人情あふれる漁師町〜
まるで昭和時代にタイムスリップしたかのような素朴な町並みには大きな宣伝看板やコンクリートなども少なく、昔ながらの下町情緒が漂う。ばばさん(=おばあさん)たちはそこかしこで座っておしゃべりに花を咲かせ、猫たちも道端で井戸端会議中…漁師町の細かく入り組んだ路地によくある光景だ。「見らん顔ばってん、どっから来たつかな?」と声をかけられたことから「思わぬ出会いから旅を満喫できた」という旅行者も少なくない。そんな人なつっこく人情味ある小値賀の人々の「おもてなし」をそのまま丸ごと体験できるのが「民泊(ホームステイ)」だ。
「島のコンシェルジュ」おぢかIT協会の取り組み
おぢかIT協会の事業内容はおぢかの観光・ツーリズム全般である。島の観光相談・インフォメーションに始まり、要望に応じてさまざまなパーツを自由に組み合わせて「オリジナルの島滞在プラン(個人向け行程表)」を作成している。さらに当日の受付・料金支払いまで、一貫して行うシステムが確立している。老若男女、個人団体、国内外とあらゆるお客様に対応しており、来年度は旅行業免許の取得も行う予定だ。
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