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カナダで百人一首
後藤 桂子
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B&Bのリビングで
 「ひさかたの ひかりのどけきはるのひに、しずこころなくはなのちるらむ」
 私の声が響く。百人一首の一句である。
  「し・ず・こころ・なく・はな・の・ち・る・ら・む」・・・と下の句をゆっくり繰り返し詠む。
 「オー、ディス ワン」        
 「イズ ディス オーケー?」
 「イエス、ザッツ ライト!」
 「グレート!」
 ここはカナダのバンクーバーのB&Bホテルのリビングルーム。
  私は大好きな百人一首をアジアの若い女性4人と日本人3人で楽しんでいる。大きなテーブルの上一面に取り札が並べられ、平仮名が模様のように美しい。一枚取るたびに
 「ハウ・ナイス!」
 「ワンダフル!」
 というかわいい声が笑い声と共に飛び交う。
 彼女たちのうち20歳代のイーデス・ジェシー・エナの3人は台湾人であるが、学校で日本語を習ったことがあるそうで平仮名はすらすら読める。15歳のニコルは香港の人だが、今はまだ勉強中で平仮名一覧表を見ながらがんばっている。時間の経過とともに札を取る速度もはやくなり、次第に熱が入る。一枚でも取れるとにっこり笑うその表情がとてもかわいい。あまり上手なので彼女たちが外国の娘さんだということを忘れてしまう。全部取り終わったときには拍手が起こった。みんな笑顔で大好評。
  「サンキュー、ケイコサン、ウィー エンジョイド!」
 今年の5月、私はカナダでアジアの人たちと一緒に百人一首を楽しむ機会を得たのである。


ALTと文化交流 
 私は自称、百人一首普及委員会会長である。ずっと中学校や高校で英語の教師をしてきたが、毎年お正月明けの最初の授業は百人一首大会を行ってきた。私は生徒たちからミセスケイコと呼ばれているが、ミセスケイコに英語を習った生徒は、一度は百人一首や坊主めくりを楽しんだことになる。
  「どうして英語の授業で百人一首なんかするの?」
 と生徒から毎回聞かれてきたが、私はいつも
 「日本人がこれから英語を使って海外の人と交流するとき、日本文化も伝えていけるといいよね。百人一首は伝統的な日本文化でしょ。本人が知らなくてはね。やってみるとおもしろいよ」
 と言ってきた。
 百人一首大会にはALT(外国語指導助手)も仲間に入ってもらう。日本に興味があって英語の教師になるために来日した彼らは、ほとんど平仮名は読める。ALTが一枚でも札を取れば生徒たちは「すごーい!」と拍手をする。自国の文化を理解してくれたと親しみも増す。1グループ4〜5人だが、6グループの全員が目の前の札に集中し、私の読む声に耳を傾け、いっせいに取り札を探すのである。5・7・5・7・7のリズムは日本人のDNAに深くインプットされている。慣れてくるとこのリズムが生徒たちにも心地よく伝わる。一枚取るたびに歓声が上がり、一枚でも多く取ろうとみんな必死になってくる。男子と女子が混じって対戦すれば、お手つきをして思いがけず二人の手が重なることもあり、ほのかな思いが伝わって余計に楽しい。一回終わるとみんな一斉に「もう一回やろう、次はもっとたくさん取るよ」と言うのである。百人一首の後は坊主めくりを楽しむ。もうこのときは笑いの渦で大騒ぎになる。これこそ身近な文化交流である。


カナダの日本人女性を訪ねて
 この春私は長い教師生活にピリオドを打った。しかし自由な時間はできたが、なんだか急に生活に張りがなくなった。これから自分はどう生きていったらいいのか悩んでしばらく落ち込んでしまったのだ。ある日そんな自分を元気づけるために、最近インターネットで知り合ったカナダに住んでいらっしゃる素敵な女性を訪ねることにしようと思いついたのだ。
 その女性は今から10年前、弁護士だったご主人がガンで急逝された後、悲しみをのり越えるためにカナダに移住しようと決意して、単身カナダに渡られた。そしてバンクーバー郊外に大きな家を買い求め、そこで試行錯誤の末、B&Bホテルを開いた。渡航2年で永住権を取得、今カナダに大きく根を張っていらっしゃるのだ。彼女と私との一番の共通点は、同じ頃に夫をガンで亡くし、同じ悲しみを味わったことである。二人とも悲しみのどん底に突き落とされたが、どうにか立ち上がって現在まで歩んできたことだ。
 彼女の名前は千恵子さん。絵がお上手で料理はプロ級、ガーデニングの腕も抜群である。私は彼女の逞しい生き方に圧倒され、ぜひ直接お会いして、これからの生き方の指針にしたいと思ったのだ。
 メールや電話で連絡を取り合い、5月の第4週の一週間、彼女のB&Bに滞在させてもらうことに決めた。私は一人着々と準備を進め、格安航空券も手に入れ、いよいよカナダ行きの機上の人となった。一人旅でも何かお友達の家に泊まりに行くような心強さだった。8時間のフライトの末、広々としたバンクーバー空港に降り立った。空港ロビーには彼女の息子さんが迎えに来て下さっていた。4年前から母親を応援するためにカナダに移り住んだということだった。彼女も心強く思っていらっしゃることだろう。 
 バンクーバー空港から1時間ほど車に乗って彼らの家に向かった。さすがにカナダは土地が広い。道路も広く何車線も走り、街のビルディングが向うの方に小さく見える。緑が豊かで大きな森があちこちに現れる。郊外に入ると個人の家もゆったりと建てられ、次々と美しい外観を見せている。コキットラムという閑静な住宅街にある彼女のB&B・クリフローズ亭は小高い坂の上に白い壁とピンクの柱の上品な姿を見せていた。
  「はるばる日本からようこそ」
 日本語で千恵子さんに迎えられ洋風にハグされた。やっとお会いできたうれしさで旅の疲れも吹っ飛んだ。


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※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。

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