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JTB交流文化賞
交流文化が広げる未来
第3回 JTB交流文化賞 受賞作品紹介
交流文化賞
優秀賞
ゆくたび感動 国際観光都市「飛騨高山」
岐阜県 高山市
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1.3次元的な交流
 車窓から眺める景色の色は、春は緑、夏は青、秋は赤、そして冬は白。ここは、岐阜県の北部、飛騨地方の中央に位置し、東には槍ヶ岳、乗鞍岳、穂高連峰、南には御岳、西には白山など、2〜3,000m級の山々が展望できる高山市。平成17年2月1日に周辺の9町村と合併し、東京都とほぼ同じ面積の2,177.67km2と日本一面積の広い市となりましたが、森林率が92.5%もあり、世界の平均が約30%、日本の平均が約67%と言われているので、際立って森林の面積が多く自然環境に恵まれたところでもあります。そのため、地理的には、山や川、渓谷、峠などで分断され、標高の最高は奥穂高岳の3,190mから、最低は上宝町吉野の436mと標高差が約2,750mあるなど変化に富んだ地形となっています。
 こうして合併により、従来の歴史資源のほか、広大な面積と豊かな自然資源を有し、滞在型・体験型・周遊型観光地として四季を通じて誰にでも一層楽しんでいただける地域になり、点から線へ、線から面へ、さらに面から立体へとまさに地域の標高差を活かすような3次元的な「交流」が可能となりました。


2.本物しかない資源
 豊かな自然環境の中、縄文、弥生時代から人が住み、生活が営まれてきた飛騨高山は、戦国時代に豊臣秀吉から命を受けた金森長近が天正14年(1586)大名として入国し、金森氏6代により107年間政治が行われ、城の建設と同時に城下町の整備もされ、城を囲むように高台を武家地、一段低いところ(現在の三町)を町人の町とし、京都になぞらえて東山に寺院群を設け、現在の基礎が形成されました。元禄5年(1692)に出羽国上ノ山(現在の山形県上山市)に移封され金森氏による時代は終わりましたが、その後、徳川幕府の直轄地(天領)となり、代官、郡代25代による政治が177年間続きました。この間、町人文化が開花し、春・秋の「高山祭」に代表される屋台をつくりあげるだけの富裕な町人(旦那衆)を中心とした「屋台組」というコミュニティーにより発展してきました。
 また、金森氏時代の京文化、天領時代の江戸文化が混じりあった高山独特の伝統文化が生み出され、今も、日本三大美祭の一つに数えられる高山祭(国重要無形民俗文化財)や祭屋台(国重要有形民俗文化財)、古い町並(三町伝統的建造物群保存地区と下二之町大新町伝統的建造物群保存地区)、匠と食の技や心などが市民生活様式に息づいており、歴史に裏付けされた「本物」が今も受け継がれています。


3.陸と空から
 高速道路交通網の進展により首都圏、中京圏、関西圏からのアクセスが便利となり、平成20年夏には東海北陸自動車道が全線開通し、太平洋と日本海を結ぶ大動脈が整備され北陸圏とも直結します。鉄道網については「特急ワイドビューひだ号」が東海道新幹線との接続が充実するなど交通網に対する利用の選択肢が増大したほか、隣県には中部国際空港、富山空港、小松空港、松本空港があり陸と空からのアクセスが充実しています。


4.早い時期から国際化へ
 昭和35年、アメリカ合衆国コロラド州デンバー市と姉妹都市提携が成立し、平成14年には、中国雲南省麗江市と友好都市提携が成立しました。以後、両市長の親善訪問をはじめとして、高校生の交換交流や各種親善使節団の交流、音楽交流などを行い文化・産業交流が行われているほか、中国から行政職員を研修員として受け入れなどを行っています。
 昭和61年3月に運輸省(当時)から国際観光モデル地区の第1次指定を受け、同年4月には、市制50周年を迎え「国際観光都市」を宣言し、飛騨高山独自の魅力ある都市づくりを進め、市民参加を基調とした国際親善を推進するための国際観光振興の取り組みをはじめました。
  昭和62年に市民が国際的に幅広い交流等を積極的に推進し国際化に対応できる文化都市づくりと国際親善を図るなどを目的に「飛騨高山国際協会」を設立し、市民外国語講座、ボランティア通訳の充実、英語スピーチコンテストの開催など市民参加型の国際観光都市を目指しています。


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※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。

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