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トップ > JTB地域交流トップ > JTB交流創造賞 > 受賞作品 > 交流文化賞(組織・団体対象) > 「ハットウ・オンパク」を通じた地域資源開発と町づくり
1 はじめに 「オンパク(別府八湯温泉泊覧会の通称)」という別府生まれのイベントが、最近では地域再生や地域資源を活かした町づくり・観光地づくりの視点から注目されるようになってきた。 とくに、町づくりのテキストとも称される由布院の隣町で、そのアンチテーゼでもある別府での動きは、比較対象のうえからでも目立つ存在のようである。 「オンパク」はこの秋の開催で7年12回目を迎える参加・体験プログラム型イベントである。開催1回当たり、期間は25日程度、プログラム開発数は約100種類、参加者数約3,000人。5,000人の顧客を会員組織化、200事業者にのぼる協力組織が育っている。 ここでは、地域資源を発見・発掘し、磨いて、プログラムとして商品化してきた「オンパク」を企画した背景からその将来像までを述べることとしたい。
2 オンパクが生まれた社会環境 別府は八つの温泉郷で形づくられた世界でも稀な大温泉地である。明治以来、温泉地として発展し、戦中戦後もその歩みを止めていない。 97年の金融不安以降、デフレの影響下、観光産業の疲弊が目に見えるようになり、02年には別府のシンボルでもあった超大型旅館も再生に入る。その後、再生旅館・ホテルがめだって多くなってきた。ここ数年の宿泊客数は400万人前後で推移、ようやく減少期から再生期に入ったといえる。 このようななかで、オンパクは構想され01年秋に第1回が開催されることになる。
3 オンパクの誕生まで オンパクは町づくり運動から生まれたといって過言ではない。その端緒は平成8年(96年)8月8日8時8分8秒に行われた「別府八湯勝手に独立宣言」と言われる。 八湯の町づくりの団体、有志が一同に集まり、それぞれの温泉の個性を大切にして、競い合い助け合い、誇りある町を作ろうというものである。 その後、市内には小さな動きが目に見えて始まるようになる。とくに、現在は別府温泉のシンボルとなった明治12年創設の竹瓦温泉(現在の施設は昭和13年築の3代目)を中心とした町づくりグループ「別府八湯竹瓦倶楽部」がその先陣を切っていた。 この団体から、別府市内で今はどこでも見られるようになった「町歩き」が始まる。自分の町を歩くことで知り、自分の町に心が動き、そして好きになる、そのような仕掛けである。 現在、全国で町歩きは町づくりの基礎講座のような形を呈しているが、その先駆けとも言える運動であった。昭和50年代の「タウンウォッチング」の再来でもあったこの動きが八湯に拡大していく。 この一方で、この町の再生に必要な「コト」や「モノ」に気がついた多士済々のグループが、多くの市民や外部識者を巻き込んで、極めて活発な行動する小集団を作っていった。主なものをあげても次のような動きとなり現在でも継続されている(以下カッコ内は現在の名称)。 イタリアのアバノ温泉と組んだ温泉泥の研究(協同組合ボルディック)、ロングステイを視野に入れた研究会(ロングステイ研究会)、医師会と旅館組合が組んだ温泉と医療の研究会(ONSEN地療法研究会)、地域通貨・湯路(ユーロ)の発行機関設立(別府八湯アチチ銀行)、温泉水の品質保証をする機関設立(別府八湯温泉品質保証協会)、温泉マニア向けの企画・温泉道の企画運営(温泉道実行委員会)。 この他、鉄輪温泉の小旅館の女将の「鉄輪女会(かんなめかい)」、中心商店街では「ママさんガイド」など女性グループの台頭も目に見えるようになる。 このような多くの小さな動きを支援し、一つのコンセプトにまとめあげ、ネットワークして事業化し「別府ブランド」の再生を図ったのがオンパクというイベントである。 ひとつひとつは小さな動きでも、自分が町のために、やりたいことを一所懸命行う。そのこだわり、おもしろさ、丁寧さはマスマーケット相手の既存観光産業とは対極のところにあった。