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越後妻有
アートをみちしるべに里山を体験する旅

大地の芸術祭実行委員会
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震災と大雪を乗り越えて―大地の手伝い
photo:S.Anzai
  第1回の芸術祭には16万人、第2回には20万人が妻有に訪れ、参加する集落も第1回が2つだけだったのに対し、第2回では50集落に増え、大地の芸術祭も少しずつ地元に浸透していった。しかし、第3回の開催に向けた準備がいよいよ始動しはじめた2004年10月23日、中越大地震がこの地域を襲う。
  多くの家屋が倒壊し、仮設住宅での生活を強いられる人も多数出た。大地の芸術祭サポーターやアーティスト、妻有ファンは、「大地のお手伝い」と称して、11月から翌3月まで毎週末20人から100人が現地に入り、復興支援活動を行った。さらにこの地域を2年続きの豪雪が見舞った際も、毎週末10〜20名の雪堀ボランティアが地域外から集まり、活動した。そこで確認されたのは、都会に住む人々にとって、妻有はもはや他所ではない、かけがえのない第2の故郷となりつつあるということだった。この大地の手伝いを通して、アーティストやサポーターと地元住民とのきずなはどんどん深まった。


第3回大地の芸術祭〜空家プロジェクトと妻有焼
  2006年夏、永い辛苦を乗り越えて輝きを増すかのように、第3回大地の芸術祭が開催された。外国のトップアーティストをはじめとした40カ国200組が加わり、総数337点の作品が展開する空前絶後のスケールであった。参加した集落も100近く、住民との協働も深さを増した。地元に根付く一方で、国内の各地域や海外の団体へと参加の輪が広がり、首都圏や新潟県、新潟市にも応援団が生まれた。できるだけ多くの子どもたちに体験してもらおうと、新潟県内の小中高校生を無料で招待する仕組みも用意された。
  第3回では、過疎化や地震で増えた空家を建築家、アーティストが再生し、ギャラリーにする空家プロジェクトが実施された。住人が歴史を刻んだ空家を、地域のシンボルだった廃校、あわせて約50件を作品として再生し、会期後も維持・管理していくためにオーナーも募るというものだ。すでに数件について都市に住む個人、学校、企業がオーナーとなっている。 また、文字通り大地の、里山の生活の原型である「土」に焦点を当て、十日町市願入に全国各所の8人の陶芸家が集う陶芸村を開設、縄文時代、火焔土器を産んだ地に、あらたに「妻有焼」を興す挑戦も始まった。空家を陶の家に変貌させた「うぶすなの家」には、連日多くの人が押し寄せ、地元の食材をつかった料理を名工による食器で供するレストランは満員が続いた。


バスガイドはこへび隊
  大地の芸術祭の最大の課題はロジスティックスであった。広大な里山は車でなければまわれない。それを解決したのは、地元の越後交通の協力だった。毎日定期観光バスをヴァリエーションをもたせて運行、主な作品を見られるようにした。それぞれのバスには作品や地域の説明をするガイドが乗り込む。そのガイドを務めたのはこへび隊、特に都市の元気な女性たちであった。単なる解説者ではなく、来訪者とアート、里山をつなぐ媒介者としての彼らの存在によって、里山アートの旅は一層その魅力を増すこととなったのである。


明日へのフォーラム
  9月10日、第3回芸術祭は幕を閉じた。来場者は30万人。前回を大幅に上回る数であった。今、私たちは第3回でできた新たなネットワーク、空家プロジェクトをはじめとする新たな地域資源を活かし、「都市と地域の交換」をベースとしたより広がりと深さのある展開を模索している。好評だったバスツアーの恒常化も検討している。この冬からは、「明日へのフォーラム」が本格的に始動する。これは、子どもから大人まで参加できる「山村の市民アカデミア」として構想されたもので、“夏耕冬読”を実践する学びの場の運営や研究活動に向かう第一歩になることを願っている。雪をどのように味方につけるか、それは私たちのこれからの課題である。  最初の10年は終わった。私たちはより多様で多くの人たちとの協働をベースに、次のステップに向かおうとしている。



評価のポイント
 アートとは無縁の地域の人々と都会から来たアーティストや若いサポーターとの交流が原動力となり、越後妻有地域の活性化に繋がっている。10年間にわたる協働の努力と里山にアートを持ち込んだ文化性を高く評価した。

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※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。