平井理央のスポーツ大陸探検記

Vol.11

2019.11.20

増田明美さんインタビュー

1984年ロサンゼルスオリンピック女子マラソンの日本代表であり、現在はスポーツジャーナリストとして活躍する増田明美さん。マラソン中継での“細かすぎる解説”が人気の増田さんに、解説を支える取材の極意や、初の試みとなったMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)などについてお話をうかがいました。


撮影:竹見脩吾


平井理央さん(以下、平井):まずは選手時代のお話からうかがいたいと思います。増田さんがオリンピック出場を意識したのはいつ頃ですか。

増田明美さん(以下、増田):私はもともと小学校の教員になりたくて、高校卒業後は競技を続けるつもりはなかったんです。高校3年生の時に陸上の長距離全種目の日本記録を塗り替えたのですが、その時に「2年後に女子マラソンがオリンピックの正式種目になる」という話があったので、意識するもなにもなかったですね。

平井:女子マラソンがオリンピックの正式種目になったのはそのタイミングだったのですね。

増田:そうです。私は成田高校(千葉県成田市)に通っていましたが、日本陸上競技連盟の方から当時の監督・滝田詔生さんに「増田さんが一番(代表選手に)近いところにいます。陸連としてもサポートしますよ」とお声がけしていただき、私はもうオリンピックを目指さざるをえない状況でした。当時の環境で滝田監督に教えていただきつつ成田高校で練習できるという条件のもと、高校卒業後は地元の川崎製鉄千葉製鉄所に応援いただけるという流れになりました。

平井:川崎製鉄は当時、会社に陸上部はありませんでしたよね。

増田:はい、そうなんです。0(ゼロ)から作ってくれて。だから川崎製鉄には本当に申し訳ないことをしました。全部受け入れてくれて大応援をしてくれたのに、私が本番でプレッシャーに負けてしまって16㎞で途中棄権してしまいましたから。

平井:五輪の壮絶なプレッシャーを物語るお話ですよね。現在はマラソンの解説者として活躍されており、増田さんの解説はマラソン界にとってなくてはならない存在だと思うのですが、どうやってあの膨大な情報量の取材をされているのですか。


撮影:竹見脩吾


増田:私は取材が好きなので、よく現場に足を運びます。暑い時に各実業団連盟などが合同合宿をするので、そちらへ2、3泊お邪魔して取材をしています。そうするとレース前よりも選手はたくさん話をしてくれるんです。

平井:レース直前の緊張した感じとは違って、普段の雰囲気で話が聞けますね。

増田:選手への取材は、合宿以外でも時間ができるとグラウンドに行ったり、プライベートでお昼ご飯を一緒に食べたりしています。レース前だけの取材では他の方々と同じ情報になってしまうので、できるだけ避けたいですね。監督さんたちとは夜、飲みながらご飯を食べたりもします。ちょっとお酒が入ると、いつもは職人肌であまり話をしない人も話してくれるのが一番の情報ですね。もうひとつ、重要なのが家族です。大会の時にサブトラックで待っていると選手のご家族に会える時もあるので、そこでご家族の方に選手の子供時代のお話を聞いたりします。選手のお母さんの電話番号をゲットするのも大事(笑)。子供のことを一番わかっているのはお母さんですから。だから家族と仲良くなるのも大切ですね。

平井:増田さんのものすごい情報量の源は、やはり選手本人やとりまく人々への緻密な取材からだったのですね。一選手に絞ってではなくて、それを一つの大会に向けて数多くの選手を対象にしているのがすごいですね。

増田:でも、駅伝は人が多いから全てのチームは回れないんです。だから座右の銘とか趣味とか、聞きたい項目をまとめてアンケートを作り、テレビ局の方にお願いし、答えていただいています。


撮影:竹見脩吾


平井:取材を自腹でしているとうかがったのですが。

増田:取材は全部自腹です。テレビ局のカメラと一緒に行きますか、と聞かれますが、カメラがあると選手たちは少し疲れてしまうこともあります。でも、手帳とペンだけで行くと普段聞けない話をキャッチできたりします。

平井:カメラがないところで会うことが心を開いてもらうコツなのですね。

増田:こうした取材の姿勢を教えてくれたのは永六輔さんです。現役を引退した後にラジオのお仕事を最初にいただいて、永さんと会う機会がありました。その時に、永さんみたいにラジオなのに「匂い」が伝わるように喋るにはどうしたらいいですか、とお聞きしました。そうすると、「僕は人が好きだから会いたいと思った人のところには会いにいくんです。会いに行って、五感で感じたことを話しているだけですよ」と言われて。それで私も会いたいと思った選手のところには行かなくてはと思いました。だから、今の取材スタイルは永さんから教えていただいたものですね。

平井:意外な世界の方が増田さんの師匠ですね。

増田:そうなんです。永さんは私の結婚式の司会をしてくれました。両親は私が結婚したこと以上に永さんが司会をしてくださったことを未だに誇りに思っています(笑)。


撮影:竹見脩吾


心を豊かにする観光ランニングとジョグ俳句

平井:最近はジョギングを楽しむ市民ランナーが増えている印象があります。増田さんはいろんな土地を走っていると思いますが、なかでも思い出に残っている国や都市はありますか。

増田:今はいろんなところを観光ランニングするのが趣味です。心に残っているというとフィレンツェですね。フィレンツェでは夫と2人で街なかを2時間くらい走りました。楽しくて、楽しくて、観光名所を走って観に行きました。フィレンツェは何が素敵かというと、石畳の道やモザイクのアーケードなどもありますが、バイク置き場が驚きですね。バイクがキレイに整頓されて並んでいて展示会場だと思ったらバイク置き場でびっくりしました。

平井:バイクの駐輪場だったんですね。

増田:フィレンツェはルールの前にモラルがあるんです。日本では駐輪場に自転車が乱雑に停めてあることが多いですが、フィレンツェは道が狭く、市民の意識が高いからバイクも邪魔にならないよう斜めにキレイに駐車しています。小高い丘に登って町並みを眺めると屋根がレンガ色で統一されていますよね。それはひとつのルールですが、街の屋根の色に合わせてパラボラアンテナまでがレンガ色に塗ってありました。

平井:それはご自分たちでやったのでしょうか。

増田:そう、自分たちで塗っているんです。そういう人の心が見える街の美しさと、統一感がフィレンツェで驚いたことです。ほかに楽しんでいることとして、いろいろな国に行くと観光ランニングして街を知って、感動した言葉を持ち帰って俳句を作っています。名付けて“ジョグ俳句”です。俳句は黛まどかさんが先生で、いろいろと作りました。

平井:いくつか披露していただけますか。

増田:はい。ではアユタヤに行った時に作ったものをふたつ紹介します。
    「石積みの 遺跡を抜ける 夏の風」
     「プルメリア 走る笑顔が 君に似て」


平井:どちらもタイの風を感じる素敵な作品ですね。走り方も選手時代とは変わっていますか。

増田:選手の頃は修行僧みたいでした。レース中もキレイな景色はいっぱいあったと思いますが、前しか見ていませんでした、誘導の白バイとか。今は逆でキョロキョロと景色を見ながら走っているから、前でなく横を見て走っています。

平井:目線が前から横だと景色がガラッと変わりますね。

増田:私の人生の楽しみはスポーツツーリズムです。いろんなところを旅して、観光ランニングして、それでジョグ俳句を作る。これを始めたら本当に心が豊かになりますし、楽しいです。


撮影:竹見脩吾


平井:増田さんとお話をしていると私も走りたくなります。

増田:うれしい。でも、理央さんも走っていますよね?

平井:東京とニューヨーク、2回フルマラソンを走っていますが、今はちょっとお休みしています。ニューヨークマラソンを走った時に、沿道の人が「あなたは素晴らしい!」というような声援をくれたのがとても印象に残っています。もちろんトップ選手とは違いますけど、この人たちはトップ選手に対してもそういう応援の仕方をしているのだろうなと感じました。私たちが選手を応援する時に、日本の“頑張れ”いう応援は、時に重く聞こえるとこともあるのかなと思うことがあります。日の丸を背負うとかではなく、あなた自身のために頑張ってという思いで応援したいのですが、「頑張って」と軽々しく言ってもいけないのではとも考えてしまいます。増田さんは応援の言葉をどう感じられますか。

増田:あなたのためにとか、あなたらしく頑張ってというと選手が主体になりますよね。真面目な選手にとってはこれだけ応援してくれているからそれに応えなくてはと考えてしまうので、「まずは選手自身。あなたらしく」というのが先にあると素敵だと思います。ニューヨークマラソンの応援もいいですね。私もホノルルマラソンを走った時には沿道から「スタイルがいいね」とか「キレイ」とか褒められました。30㎞地点の苦しいところで「スマイル!」と言われたのもうれしかったです。日本ではなかなか聞けない応援ですよね。ニューヨークマラソンは他にどんな応援でしたか。

平井:「アメージング!」とか、とにかく褒めちぎる感じでした。

増田:それをどんどん推奨しましょう!アメリカ的な応援は褒めまくるからいいところを伸ばしてくれる。日本でも褒める人がいたんですよ。それが、小出義男さん。「いいね、いいね、最高」って。これからはそういうポジティブな応援をしましょう。それと、日本の大会では名前を言ってくれるのがうれしいっていう声もあります。苗字でもいいですけど、女子選手はファーストネームで呼ばれるとうれしいようです。「(鈴木)亜由子ちゃん!」、「(前田)穂南ちゃん!」みたいな。選手に喜ばれる応援をしたいですね。

平井:そうですね。どんな応援が選手やランナーから喜ばれるのか一度うかがってみたかったので、非常に参考になりました。


撮影:竹見脩吾


選手の強化にもつながったMGC

平井:東京2020オリンピックのマラソンについても聞かせてください。9月にMGCが開かれて男女各2選手が内定しました。MGCは見ていてもハラハラする展開になりましたが、この代表選考レースは初めての試みとして、実際にMGCを終えて率直な印象はいかがですか。

増田:大成功だと思います。あの一発勝負の緊張感を体験できたというのは選手にとってもいい経験ですし、MGCで選ばれなかった選手もすっきりしていますから。選ばれた選手は喜んで、ダメだった選手は次に頑張るということで後腐れもありませんから、今までと違いましたね。

平井:選手の運命を決めるところが会議室ではなくてコース上っていうのは、本当に気持ちがいいことではありますよね。

増田:ほんとにその通りです。もうすっきりして。それを決めたマラソン強化戦略プロジェクトリーダーである瀬古利彦さんに「いいことしたね!」と伝えたところ、「出場枠を1枠残したのも、また半年間盛り上がれるからいいでしょ?(笑)」と言っていましたよ(笑)。

平井:このMGCのレースは、選手層の底上げにもなっていますよね。

増田:MGCのスタートラインに立つまでに2年間あったので、若い選手たちがみんなマラソンにチャレンジしたことで底上げになり、強化が進みました。それも含めて素晴らしいと思っています。

平井:MGCファイナルチャレンジとして、男子は12月1日の福岡国際マラソン、2020年3月1日の東京マラソン、3月8日のびわ湖毎日マラソン。女子は12月8日のさいたま国際マラソン、2020年1月26日の大阪国際女子マラソン、3月8日の名古屋ウィメンズマラソン2020があり、代表残り1枠を争うわけですが注目の選手を改めて教えてください。

増田:注目の選手としては、男子は大迫傑選手(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)、設楽悠太選手(Honda)は面白いですよね。村山謙太選手、紘太選手(共に旭化成)はスピードもあります。経験豊富ということでいえば、中本健太郎選手(安川電機)や今井正人選手(トヨタ自動車九州)。女子は福士加代子選手(ワコール)、松田瑞生選手(ダイハツ)、小原怜選手(天満屋)ですね。

平井:残り1枠の選考基準は設定タイムを突破した最上位選手ですが、男子の設定記録は大迫選手の日本記録2時間05分49秒ですから相当大変ですよね。

増田:大迫選手は走るのか、結果を待つのか。東京で突破された場合、びわ湖に挑戦するということもありますが、びわ湖はオリンピック本番までの期間が短くなります。女子はタイムが2時間22分22秒で松田選手が大阪で出した記録マイナス1秒です。大阪はコースが平坦で高速レースなので記録が期待できます。ただ、女子は名古屋で今まで代表が多く選ばれてきていることもあるので、名古屋を走る選手も多いでしょう。

平井:選手たちがどういう戦略でどのレースに出るのか、それとも出ないのか。そういった点では最後まで代表選考レースから目が離せませんね。


撮影:竹見脩吾


開催が札幌に変更でも頼りになる内定4選手

平井:ところで、マラソンの開催地が東京から札幌に変わりました。内定している中村匠吾選手(富士通)、服部勇馬選手(トヨタ自動車)、鈴木亜由子選手(日本郵政グループ)、前田穂南選手(天満屋)たちは、札幌に向けてどのような準備をしていけばいいのですか。

増田:どのようなコースになるかが気になりますが、私は北海道マラソンのコースがベースになるのではと思っています。そうだとしたら、女子は鈴木亜由子選手も前田穂南選手も北海道マラソンで優勝しているんです。

平井:相性がいいコースなのですね。

増田:そうです。男子の中村匠吾選手と服部勇馬選手は北海道マラソンを走っていませんが、2人とも北海道で強化合宿をたくさんしているので、気候には慣れていると思います。湿気は東京より少ないけれど、北海道も日差しが強くて暑いですから。

平井:今回、MGCで代表が決まったのは暑い時に強いという証でもありますよね。頼もしい4選手ですが、それぞれどんな選手ですか。

増田:鈴木選手は「おとぼけ秀才ランナー」。名古屋大学卒業の才女です。彼女は暑いのが大好きですね。前田選手は「ど根性フラミンゴ」。わりと能天気なところがあって、泥臭い練習をたくさんしています。中村選手は暑いのが好きで、暑くないとやる気がなくなってしまうくらい。服部選手は馬みたいな優しい目をしているんですよね。4選手に共通していえるのはキャラクターが「野生」だということ。

平井:野生ですか?

増田:強い選手はキャラクターに「野性味」があります。仕掛ける時に重要になる勝負勘。ここだ!という時にスパートできる野性的な勘を持っていますね。それと自然と会話をしながら走るも好きなので、北海道のような開放的な風景の中を走るのはすごく合っているのではないでしょうか。

平井:もうオリンピックの取材を進められているのですか?

増田:少しずつ進めています。鈴木選手に関しては、豊橋でお米屋さんをやっているおばあちゃんのところに行っています。うかがうと五平餅を作って待っていてくれるんです。

平井:もう親戚づきあいみたいですね(笑)。

増田:本当にそうです。鈴木選手は中学生の時から取材をしているので。今度は前田選手のところにもうかがいたいと思っています。

平井:オリンピックでも素敵な解説を聞けるのを楽しみにしています。


撮影:竹見脩吾


東京2020オリンピックに期待するもの

平井:注目を集める東京2020オリンピックのマラソンですが、今回、どんな大会になって欲しいですか。

増田:日本選手たちがスタートラインに立った時に笑顔であって欲しいなと思います。やっとマラソンを走れる!ワクワクするという気持ちで笑顔であって欲しい。そうしたら、結果は自然とついてきます。あとは大舞台を楽しんでほしい。日本選手はやるだけのことをやってきていますから。

平井:沿道やテレビの前で多くの人がマラソンを観戦すると思います。その人たちにはどういう影響を与えてほしいですか。

増田:マラソンを見て感動して「私も走りたい」「早歩きをしよう」と思ってもらえたらいいですね。スポーツは「する、見る、支える」といいます。観戦を機会に、「見るのも楽しいけれどやってみよう!」という気持ちが湧いて、実際にマラソンをする人が増えたらうれしいです。人生100年時代。マラソンや早歩きなどの有酸素運動は健康長寿につながりますから、オリンピック観戦が運動習慣を作るきっかけになり健康でいる人が増えたら素敵ですね。


撮影:竹見脩吾


Profile

増田明美(ますだあけみ)

スポーツジャーナリスト、大阪芸術大学教授。1964年1日1日、千葉県いすみ市生まれ。1984年のロサンゼルスオリンピックに出場。1992年に引退するまでの13年間に日本最高記録12回、世界最高記録2回更新。



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平井理央

Profile

平井理央

1982年11月15日、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、2005年フジテレビ入社。「すぽると!」のキャスターを務め、北京、バンクーバー、ロンドン五輪などの国際大会の現地中継等、スポーツ報道に携わる。2013年より、フリーで活動中。趣味はカメラとランニング。著書に「楽しく、走る。」(新潮社)がある。



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