Vol.8
2019.07.17
松山恭助選手インタビュー
去る6月13日~18日に千葉ポートアリーナで開催されたアジア選手権で見事に金メダルを獲得し、アジア王者に輝いたフェンシング男子フルーレ日本代表チーム。2009年大会以来、10年ぶりという快挙を達成したと同時に、1年後に控えた東京2020オリンピック出場に向けて大きな弾みとなりました。日本代表のキャプテンを務め、勝利に大きく貢献した松山恭助選手(JTB所属)に、チーム躍進の理由やオリンピックへの思いをうかがいました。
撮影:竹見脩吾
平井理央さん(以下、平井):先日、開催されたアジア選手権での団体金メダル獲得、おめでとうございます!この金メダルをキャプテンとしてはどのように捉えていますか。
松山恭助選手(以下、松山):世代別では団体戦でも個人戦でも優勝したことはありますが、ナショナルチームのキャプテンになってから、A代表として優勝したのは今回が初めてだったので、素直にうれしいです。
平井:チームメートの三宅諒選手からは「松山選手が作ったこのチームは、史上最強」という言葉がありましたが、それをどのように受け止められましたか?
松山:率直にうれしかったですし、(取材時に)隣で聞いた時には、それが顔にも出てしまいました。客観的にチームを見ると、各個人の能力はものすごく高く、ポテンシャルもあるので、それをいかに一つにまとめ、皆がそれぞれの役割を全うできるか、それに尽きると思いました。それさえ上手く機能できれば勝てるという確信がありましたが、実践できたのがこの大会でした。
平井:なんだか難しそうですが、それはどうやって成し遂げたのですか。
松山:とにかく仲間を信頼することからです。信頼といっても、表面上での信頼ではなく心の底からの信頼です。練習中の食事や入浴等一緒にいる時間を増やし、本音で話をするように心がけました。また、選手だけでミーティングをして、「100%の力を出せば絶対に勝てるから、相手に対してこういうふうに戦おうというより、いかに自分の能力、ポテンシャルを引き出すかにフォーカスしないか」と提案しました。それにみんなが共感し、いろんな時間を共有した結果、チームワークが結束して強くなったのだと感じています。
平井:何かがあってガラッと変わったというよりも、ほんとに毎日の小さな時間の積み重ねが信頼に結びついているのですね。
撮影:竹見脩吾
松山:オリンピック出場のポイント対象となる期間、いわゆるオリンピックシーズンの男子フルーレは今年の5月から始まり、ワールドカップ第一戦がロシアで行われました。その大会で団体が15位という悲惨な結果で、最悪すぎるスタートになりました。これ以上ないというくらい思いっきりつまずいて、アジアでライバルとなる香港、韓国が2位、3位でしたので、チームの結束力を高めないとアジア選手権で優勝するのは不可能だなと感じました。とにかく何かを変えなくては…というのがメンバーにもあって、そうした危機感が強い結束力を生みました。もしかすると、ロシアでの失敗がなかったら今回の優勝はなかったかもしれません。危機感が良い方向に働きました。
平井:優勝した後はチームメートとはどんなお話をされましたか。
松山:みんなで心の底から喜び合って、お互いを褒め合いました。
平井:お互いを褒め合うという環境はいいですね。
松山:そうですね。仲間が点数を取られたり、困っていたりしても、こいつなら絶対やってくれる、必ず巻き返してくれるという絶対的な信頼があるので、その人に対して疑いを持たないんです。みんなにその想いがあり、それぞれが信頼されていることを感じることで自信になり、チーム全員が自信を持ってプレーできたのだと思います。
平井:フェンシングは個人競技というイメージでしたが、団体戦になるとそんなに強いチーム感が出るのですね。
松山:そうなんです。団体戦とはいえ、戦うのは1対1なので、どちらかと言えば、個人の能力が大事だと思っていました。でも、団体戦は見えないバトンを後ろの仲間に回していくイメージなので、一人で戦っているのではなく、チームみんなで戦っているという強い気持ちが大事なことに最近気づきました。
撮影:竹見脩吾
4年前のリオで太田雄貴さんから受け取ったバトン
平井:東京2020オリンピック開催まで1年というところまで迫ってきましたが、今はどのような状態で過ごされていますか。
松山:チーム状態も今は比較的上がっています。僕を含めチームメートも若いので、ここから1年というのは心身ともにさらに成長できると思っています。
平井:松山選手はオリンピック初出場になりますよね。オリンピックで戦うイメージはできていますか。
松山:多少のイメージはできていますが、本番はイメージを上回ってくると予想しています。前回のリオデジャネイロ2016オリンピックに太田雄貴さん(日本フェンシング協会会長)の練習パートナーとして帯同したので、なんとなくの雰囲気はわかります。ブラジルという土地柄もあるとは思いますが、試合前はサッカー会場のような盛り上がりで独特な雰囲気でした。
平井:いつもの大会とは違う感じでしたか。
松山:選手の顔つきやオーラが物凄かったのを覚えています。エンジン全開で、みんな勝つことだけに集中して戦っているなというところがありました。
平井:リオといえば、太田さんの衝撃的な初戦敗退がありましたが、それを間近でご覧になっていたのですか。
松山:すぐ目の前で見ました。短い期間でしたが、一緒に練習をしたり合宿をしたり、近くにいたので敗戦した時は自分のことのように、ただただ悔しかったです。
平井:練習パートナーに選ばれたのはどういう経緯があったのでしょうか。
松山:その時は19歳でしたが、将来、太田さんの後にキャプテンを任せたいという期待や、太田さんが左利きのパートナーを求めていたことからかもしれません。日本代表には左利きの選手があまりいないのでそれも理由のひとつであったのと、とにかくオリンピックというものを見てほしいということもあったと思います。
平井:実際に初戦敗退を間近で見て、どういうことを感じましたか。
松山:オリンピックの難しさ、いろいろなものを積み上げてきても、一瞬でそれが終わってしまうという勝負の厳しさを感じました。
平井:前回大会がプレ体験ではないですけど、大きな財産になっていますね。
松山:今思えば、当時の実力からするとオリンピックに出場できなかったのは当然で、むしろ出場できたらラッキーでしたので、チームに帯同し、オリンピックの雰囲気を感じながら試合を観ることができた経験はとても貴重でした。
平井:試合後、太田さんから託された言葉はありますか。
松山:試合が終わって数時間後にお会いした時に「必ず借りを返してくれ」と、そのひと言でした。
平井:借りを返すというのは、どういうことだと理解しましたか。
松山:太田さんはリオで金メダルを目指していたので、次のオリンピックで金メダルを取ることだと受け取りました。
平井:4年前に大きなバトンを受け取りましたね。
松山:その時はそんなに重圧を感じることはなかったのですが、オリンピックが近づくにつれ、その重みをすごく感じるようになりました。
撮影:竹見脩吾
理想は、頭脳と感覚の絶妙なバランスによるプレー
平井:松山選手の、ここは負けないというフェンシングの強みはどういうところですか。
松山:手数の多さです。僕は筋肉質な方ではないですし、世界にはよりパワーがある選手やスピードがある選手がいます。僕の場合、世界で戦うにはそういうところも勝負で使うこともできますが、メインは頭脳を使った戦略や手数が武器です。
平井:東京ではそういった頭脳プレーを見て欲しいですか。
松山:そこは難しくて、とにかく勝てればいいかなと思っています(笑)。
平井:頭脳プレーとはかけ離れていますね(笑)。
松山:頭脳プレーは試合の中で全てではなく、どこかで出せればいいかなぐらいで、頭脳プレーに執着していません。自分の中で勝つために何がいいのか、スピードなのか、パワーフェンシングなのか、それとも頭脳を使った戦術なのか、試合の中で決めればいいかなと。
平井:試合中の駆け引きは覚えているものですか。
松山:自信がある時は試合中に自分がこうすれば相手がこうしてくると確信めいてくるのがほとんどで、逆に駆け引きや自分が出す技に1ミリでも疑いがあると失敗します。120%以上の自信がある、身体が勝手に動くといった感覚の時は必ず成功します。頭脳戦だと言っても考えすぎると技が出にくくなったり、動こうと思って動くと動きすぎたりするので、頭脳と感覚の絶妙な中間のところをとらなくてはいけない。フェンシングはそういう難しさがあります。
平井:考えてはいるけれど、身体も自由にというそのバランスをオリンピックという最高の舞台で出せるようにするというのは鍛錬が要りますね。
松山:そうですね。国内大会でも世界大会でも観客がたくさん入る試合はオリンピック以外にもあるので、そういう場でいかに自分を出せるかということを頭においてプレーする、場数を踏むことが東京オリンピックに向けて大事になってきますね。
撮影:平井理央
多くの人に感動を届けたい
平井:オリンピックに向けて、フェンシングが競技として注目され、メディアの取材や露出が増えていると思います。環境の変化はご自身の中でどのように消化していますか。
松山:環境の変化というのは特には感じていないのですが、オリンピックが近づいてくるにつれ、メディアの方からキャプテンのこと、キャプテンとしてどう思うかと聞かれるようになりました。それによって少し重圧になっているところはありますが、それ以外はあまりないですね。
平井:環境といえば、先日、松山選手の所属先がJTBに決まって新たなスタートを切りましたね。所属先にJTBを選んだ理由はどういうところですか。
松山:フェンシングは世界を転戦します。今回のオリンピックは東京ですが、ワールドカップや世界で戦うことで多くの人に感動を与えたいという想いがあり、JTBのブランドスローガンの“感動のそばに、いつも。”という言葉に共感したというのがあります。
平井:1年後には感動を届ける最高の舞台に立つわけですから、松山選手にとって大きなポイントになりますね。
松山:絶好の舞台を23歳という年齢で迎えることができるので、これは神様から“勝て!”と言われているのだと自分に言い聞かせています。
平井:母国開催についてはどういうふうに捉えていますか。それが強みになるのかプレッシャーになるのか、アスリートにとって様々だと思いますが、松山選手はどうですか。
松山:もちろんプレッシャーもありますが、強みのほうが大きいです。やはり応援の力はとても大きいですし、大勢の人に応援してもらうとアドレナリンが出て、プレーしていて気持ちがいいです。プレッシャーと紙一重なので、それをどう感じるかはその人次第。先ほど言ったように場数を踏んで、そういう場にいかに慣れて自分の力を発揮できるようにするかがすごく重要だと思います。
撮影:竹見脩吾
本当に勝ちたい時に勝つことが重要
平井:東京2020オリンピックでは、個人、団体ともにどんな目標を設定されていますか。
松山:個人、団体どちらも金メダルを目指しています。
平井:その目標を叶えるために、何が必要だと思いますか。
松山:気持ちの面も、技術も戦術もといろいろとあって、とにかくまだまだ伸び代はあります。可能性に限界はないと思っているので、いろいろな可能性を信じて成長したいですね。
平井:ご自身では東京2020オリンピックまでのプロセスに関しての青写真は見えていますか。
松山:優勝するというイメージはできているのですが、プロセスは自分が設定している以上の困難があると思っています。プロセスが完璧な人はいないですし、これまでのオリンピックで優勝した人でもいろんな苦悩や失敗があって、自分が思い描いているよりも残酷なことが待ち受けていたりするので、僕にもまだまだこれからそういうことが待っている可能性があります。それが勝負の世界なので、上手くいくとは考えていません。今までは全部上手くいくと思っていましたが、そうではないことがわかってきました。上手くいかないことを我慢して我慢して、本当に勝ちたい時に勝つことが重要であると今回のアジア選手権でも気付きました。とにかく我慢強く、自分がいつ勝ちたいのか明確にすることが大事。もちろん全ての試合で勝ちたい気持ちはありますが、全部欲しがると結局自分がどこで勝ちたいのかがわからなくなってしまうので、本当に勝ちたいところに自分のピークを持っていき、それ以外はちょっと負けてもしょうがないなくらいのメンタリティでいろいろと吸収していきたいです。
平井:オリンピックで金メダルを取るのは、必ずしも世界ランク1位の人というわけではないですよね。その時の爆発力等、何かプラスα(アルファ)が必要なのかなと取材をしていて感じるのですが、松山選手はどう思いますか。
松山:フェンシングは特に絶対王者がいません。例えば僕の種目の男子フルーレの世界選手権優勝者は、10数年連続で毎年違う選手が優勝していており、連覇がありません。それくらい力が拮抗していて、特に今の男子フルーレは世界ランキングを見ても層が厚く1位から100位くらいまで実力に差がありません。100位の選手が優勝してもおかしくない、それくらい変わらないんです。
平井:世界ランク5位の選手が75位の選手と対戦するといっても5位の選手は気が抜けないということですね。
松山:はい、結果はわからないです。
平井:わからないから怖いところもあるけれど、面白さもありますね。
松山:オリンピックといった大舞台はその日のコンディションや爆発力というのが一番重要です。経験も大事ですが、若いとそういう爆発力は出しやすいと思うので、僕は23歳という年齢で出場できることを強みに、その爆発力を出したいです。
平井:ぜひその爆発する姿を見せてください。その前に、次なる戦いの世界選手権が7月にブダペスト(ハンガリー)でありますね。そこでの目標を聞かせてください。
松山:個人と団体でメダルを取りたいです。個人戦ではもちろん頂点を取りたいですけれど、今はまず東京2020オリンピックの団体戦出場枠を獲得するうえで大事なところなので、団体戦に向けて自信を持って100%の力を出し切るという目標があります。結果は必ずついてくると思っているので、自信を持ってプレーするということ、強気で金メダルを取りにいきたいですね。
平井:世界選手権でメダルが取れれば、団体での東京2020オリンピック出場の確率がかなり上がってきますね。結果を楽しみにしています。
番外 フェンシングを体験
撮影:竹見脩吾
①簡単なステップからの突きにチャレンジ!
踵をつけてつま先を90度開いた状態で立ち、そのまま利き足を前に出して肩幅くらい開きます。動きやすいように膝を曲げて軽く腰を落とし、剣を持った利き手を前に出し、反対の手は後ろでバランスよく上げるのが基本姿勢。そこから、前足を踏み出し後ろ足を引きつけ、剣を前に出して実際に松山選手を突いてみました。何度か動きを見た後に、松山選手から「構えた時に、まず膝が中に入らないようにして身体の軸を真っ直ぐに。肘も内側に入れないように」とのアドバイスを受けて再度トライ。すると、突きの動作がスムーズになり、剣もカーブするようになりました。
撮影:竹見脩吾
②松山選手の得意技の振り込みを受ける!
振り込みは剣をしならせ、相手の肩や背中を突く技。剣をはらわれた瞬間、もう肩を叩かれている感じ。一瞬、何が起きたのか分らないくらい速いです!!
撮影:竹見脩吾
【体験後記】
今回体験してみたところ、すごくシンプルな動きでしたが、体幹や足の向き等、気をつけなくてはいけないポイントがいくつもあり、少ない動作をいろいろと考えながらやるというスタイルは、運動不足気味だった私にとっても楽しんで体験することができました。松山選手の振り込みはもちろん優しく、軽めに振り込んでくれていましたが、本当に速く、剣が一瞬見えなくなって何が起きたかわからない状況になります。試合で見ると派手な技だなと思っていましたが、実際にやられてみると、やられた感が凄くあるので、受けた方は精神的にも結構なダメージがあるだろうなと思いました。これまでのイメージでは、専門性が高くて誰もが気軽にできると思っていませんでしたが、今回はフェンシングの気軽さを感じさせてもらいました。
来年に迫った東京2020オリンピックでのフェンシングの活躍はもとより、そこに向かうまでの日本フェンサー達の歩む道も、とても楽しみになりました。
【補足: 2020 年東京オリンピック日本代表選手選出方法について(フェンシング)】
2019年4月3日から2020年4月4日までの競技結果に基づく、FIE(国際フェンシング連盟) 公式ランキングによって決定します。
>>PDF
撮影:竹見脩吾
Profile
松山恭助(まつやまきょうすけ)
1996年12月19日生まれ。種目はフルーレ。4歳の時、地元台東区のフェンシングクラブでフェンシングを始める。その後、早稲田大学フェンシング場内で活動するワセダクラブに移籍し、小学5年生時に初めて日本代表に選出される。高校時代のインターハイでは太田雄貴氏以来となる3連覇を達成した。早稲田大学に進学後は世界ジュニア選手権優勝、ユニバーシアード大会優勝など複数の国際大会においてメダルを獲得。現在は、男子フルーレナショナルチームのキャプテンとして世界大会を転戦している。
取材協力:NEXUS FENCING CLUB(ネクサスフェンシングクラブ)
フェンシングの普及を目的に、2019年4月にオープンした日本初のフェンシング専用施設であり、フェンシング経験者・初心者・興味のある方の垣根を超えて分け隔てなくフェンシングという競技を楽しんでいただきたく立ち上げたクラブとなります。1階はフェンシング用品等を販売する店舗、2階が練習場、3階がトレーニングジムとしてご利用可能です。元日本代表コーチが指導を担当し、本格的な技術向上から初心者まで様々なカリキュラムや気軽な体験プログラムも用意されています。西武池袋線中村橋から徒歩約3分。(編集スタッフより)
https://nexus-fencingclub.com/