Vol.3
2018.12.28
日本バドミントン協会
銭谷欽治専務理事
インタビュー
2018年の世界選手権大会で桃田賢斗選手が金メダルを獲得し、女子ダブルスでは永原和可那、松本麻佑ペアが女王に輝くなど日本代表選手の活躍が目覚ましいバドミントン日本代表。この大躍進を導いた強化策と2020年東京オリンピック、そして先日招致に成功したばかりの2022年世界選手権東京開催についての思いを平井理央さんから公益財団法人日本バドミントン協会の専務理事である銭谷欽治さんへ伺いました。
平井理央さん(以下、平井):昨今、バドミントンは大変な盛り上がりを見せていますが、この盛り上がりはどこからスタートしているとお考えですか?
銭谷欽治さん(以下、銭谷):私どもの公益財団法人バドミントン協会は昭和21年11月2日に創立し、72年が経ちました。長い歴史のなかで、まだ中国が世界バドミントン連盟に加盟しておらず、1970年に日本女子はユーバー杯で優勝するなど競技として強かった時期もありましたが、その後は低迷期もありました。ここ1年の実績については、要因はたくさんありますが、15、6年前から本格的にジュニアの育成に力を入れてきたことが基本になっていると思います。そこから育ってきたのが、今、男子世界チャンピオンの桃田賢斗選手をはじめ女子世界ランキング2位の山口茜選手や奥原希望選手、さらに髙橋礼華選手、松友美佐紀選手等です。
2004年に韓国から朴柱奉(パク・ジュボン)ヘッドコーチを招聘したこと、2008年に味の素ナショナルトレーニングセンターが開設されたのも大きいですね。ナショナルトレーニングセンターができて、10コートの体育館がいつでも使えるようになりましたから。
平井:それまでは専属の体育館がなかったのですか?
銭谷:ありませんでした。大きな国際大会の前に、せいぜい1週間ぐらいどこかの中学校や市民体育館をお借りして、昔でいう旅館のような施設に泊まって、食事もアスリートの栄養面を考慮したものではなく、一般のお客様と同じでした。ですから、環境面がものすごく変わっています。
平井:ジュニア育成の話で桃田選手の名前が挙がりましたが、今振り返ってどういう強化をしたことで、彼が世界ランク1位になるまでにつながったと思いますか?
銭谷:協会として、ジュニアの大会数を増やしたということが一つあると思います。10数年前から大会が多くなったことで、いろんな大会に出ていく機会に恵まれました。世界バドミントン連盟やアジア連盟もジュニアにスポットを当てて強化しようということで、国際大会もやるようになってきていたので、協会としてはそこに積極的に参加する方針をとっています。だから桃田君なんかは、国際試合でも全然物怖じしない。僕らの頃は外国に行くということだけで大きなことでしたし、外国人に引け目を感じるようなところがありましたが、今の若い選手達は全くないですね。
平井:国際大会がいわば当たり前で、世界のトップ選手をより身近に感じやすい環境になっているということですね。朴ヘッドコーチについて伺いたいのですが、朴ヘッドコーチの凄さはどこにあるのでしょうか。
銭谷:僕は朴さんとは15年の付き合いになりますが、彼は一言でいうとプロフェッショナル。考え方がブレません。一番素晴らしいのは、来日した当初、カルチャーショックを選手に与えてくれたことです。日本は世界でベスト8に入るだけで喜んでいた時期でした。「どうしてベスト8で喜んでいるの?もっと頑張ったら勝てるよ」って。日本人特有の器用さ、勤勉さ、真面目さ、一生懸命さは認めています。ただ、フィジカルトレーニングであまり追い込んでいない。それで、世界のトップと戦ったらこれだけフィジカルが劣っていると数値的に示して、選手自身に気づかせることで意識改革をし、ケガをするぎりぎりぐらいまで追い込んでフィジカルを鍛える、ということを緻密に積み上げてやってきました。
また、彼は一切選手に迎合しません。得てして選手に合わせてしまうと、選手にとってそれは結局“ぬるま湯”となってしまい、伸びません。それと基本的にどんな選手に対しても同じ扱いです。選手たちは順位が入れ替わることもあります。でも本当に同じスタンスで接するので、順位が変わっても選手が指導や待遇の変化に戸惑うことがありません。結果として、自由競争でそれを具現化しているのが朴さんで、そのおかげもあって今成績がすごく伸びています。
平井:ところで、トップ選手は海外での試合数はどれくらいですか?
銭谷:多い選手で年間20トーナメントくらいですね。トーナメントの前には必ず1週間~10日間の合宿をします。
平井:月に1回以上トーナメントに出る計算ですね。
銭谷:そうです。タイトなスケジュールで年間240日ぐらい合宿しての遠征になります。
平井:年間の半分以上の日数を、日本代表の選手として過ごすということも強化になるのでしょうか?
銭谷:それはありますね。練習環境やメディカルサポート、情報分析、栄養・食事面、トレーナーのサポートといろいろな形で選手を育てようとしていますので、代表として過ごすことは強化につながると思います。
それともうひとつ大事なのは、オリンピックの出場権は世界ランキングで決まります。日本バドミントン協会でもランキングシステム制度を20年ほど前に導入し、それですべての大会の組合せを作ることで公正・オープンに実施しています。ですから、選手たちが「頑張れば行ける!」という競争原理が根底にあるのも大きいと思います。
平井:とても大きな改革を何十年単位という長い時間をかけて行ってきたんですね。
トッププレーヤーだった経験を活かした“アスリートファースト”の改革
平井:銭谷さんはもともとバドミントン界のスーパースターで、全日本総合バドミントン選手権大会で1976年から4連覇、計7回優勝するなどトッププレーヤーとして活躍していましたよね。そもそも、引退後にバドミントン界の改革に乗り出されたのでしょうか?
銭谷:現役時代も一部重なります。31歳の時に7回目の全日本のタイトルを取ったのですが、その時は三洋電機のコーチを務め、その後、当時のチームの監督とフロント部門長をやりながら、10数年前に8~10年間、日本バドミントン協会の強化本部長をやらせていただきました。
平井:選手を強化するうえで、どのような点を一番大事にしてきたのでしょうか?
銭谷:アスリートファーストを大事にしてきました。僕は選手あがりなので、選手が一番頑張っているのを一番理解しているつもりです。ケガを抱えたり、家庭を持ったり、経済的な不安を持つこともあります。アスリートファーストに立った施策を常に考えていますし、日本代表選手の選び方もホームページに規約をうたったうえでオープンなスタンスで実施し、競争原理を活かしています。
平井:いわゆる密室で決めるのではないわけですね。
銭谷:そういう時期も昔はありました。ただ、今は情報社会なので、今日言ったことが地球の裏側にまで、ひょいっと伝わってしまうこともあるので、全てオープンにしています。
平井:アスリートファーストという話が出ましたが、どういう点で選手を優先させてあげようとお考えですか。
銭谷:語弊があるといけませんが、アスリートファーストは選手を甘やかすということではありません。厳しいところは厳しく、頑張った選手にはきちんとした対応をしたいと思っています。選手に合わせてしまうと、その選手は伸びないし、我々も弱体化を招くことになります。だから、選手たちにはできるだけ自由競争のなかで戦いやすい環境を作ってあげたい。
そして、できれば所属チームにもあまり経済的な負担をかけないようにして、報奨金制度を取り入れ、オリンピックや世界選手権で勝った選手には経済的なバックボーンを作る。世界チャンピオンになった選手が引退後も輝けるような場所、そこについては未だぼんやりとしていますが、そのような場所を提供できたらとも思っています。
平井:改革はこれからも続いていくということですか?
銭谷:それはもうずっとです。5年、10年先、誰がやるにしてもずっと走り続けないと維持は難しいかなと思います。
平井:今、競技の強化の話になると必ず名前があがるのがバドミントンと卓球という印象があります。注目が集まっていると思いますが、強化の仕方は銭谷さんや協会の方々が試行錯誤で作りあげてきたのでしょうか。
銭谷:そうですね。私ども日本バドミントン協会は公益財団法人ですので、理事、強化担当の方々と複合的にトータルでいい方向に行くようにアスリートファーストで取り組んでいます。バドミントンは少しずつ強くなってメディアの露出も進んでいます。ですが、いろんな意味で我々の組織強化も図っていかないと一過性で終わってしまう危機感もあります。
シャトルの速さはリニアモーターカーと同じ!?
平井:2020年東京オリンピック、2022年世界選手権大会も日本開催が決まりました。また、ここから一段ギアを上げていきたいですね。
銭谷:2020年東京オリンピック、2022年世界選手権東京開催、さらにその2年後にはまたパリのオリンピックもあります。今、現役の選手たちも30歳を過ぎていくと引退という宿命が控えていますので、次の世代、ジュニア育成を怠らずにしっかりと目標を定めて実施していきたいですね。
平井:2020年東京オリンピックに向けて、バドミントン界として目指しているものは何ですか?
銭谷:端的に言ってリオデジャネイロオリンピック以上の成績(注:日本は女子ダブルスで金メダル、女子シングルスで銅メダルを獲得)です。成績を上げないと、メディアの露出も増えないし、いろんな意味での刺激にもなりませんから。現行の世界ランキングを見ていただくとわかりますが、5種目でメダルを狙えるポジションにいますので、1つでも多く、それもできたらいい色のメダルが欲しいですね。
平井:一番いい色のメダルを目指せる選手が多数いるというのは、他の競技を見渡してもなかなかないですよね。
銭谷:おかげさまで今、一番いい状態になっています。オリンピック開催まであと1年半と時間はあまりありませんが、今は外国もかなり日本をライバル視していますので、それに負けないようにやっていかなくてはいけません。
平井:バドミントンが注目されるのに伴って、最近では国内での大会の演出方法や見せ方も変わってきていますね。
銭谷:今まではバドミントンをするコアなお客様が会場に来てくれました。これからはバドミントンをやらない方々も目を向けてくれてご来場いただけるような演出や、ファンサービスをやっていこうと思っています。
平井:バドミントンをまだ会場で見たことがないという方に向けて、こういうところを見て欲しいというのはどんなところですか?
銭谷:会場に来ていただくと会場のどよめきだとか、例えば桃田君が出た時の拍手だとか、雰囲気、空気感が違います。なかなかテレビの映像では伝わりませんが、バドミントンはこんなに激しいのかと実感されると思います。近くで観ると、汗とか、シャトルの音や息遣い、キュッキュッというシューズのこすれる音など、テレビでは伝わり切らない魅力に触れていただけます。ですから、できるだけ近くのいい席で観ていただきたい。全く印象が変わりますよ。
平井:とすると、観に行くとしたらいい席で、ですね(笑)
銭谷:そうです(笑)。いい席で観てからテレビなどの映像で観るとまた違った楽しみ方ができますよ。
平井:バドミントンは生で観ると、やっぱり激しいスポーツだなと実感しますよね。シャトルの速さも目で追えないくらい速いですし。
銭谷:今、ギネスに載っているのは最速490Km/hぐらいですね。リニアモーターカーと同じくらいのスピードです。
平井:490Km/hって、もはや想像がつきません(笑)
バドミントンを世界のメジャースポーツへ
平井:2022年世界大会についてお伺いします。日本大会だからこそ、アピールできるポイントはありますか?
銭谷:2020年東京オリンピックでのバドミントンのムーブメントが冷めないうちに、2年後を迎えて熱を繋げていきたい。そのために、このタイミングで日本にバドミントンが最高に輝く舞台を招致できたことは意義深いと感じています。世界バドミントン連盟もバドミントンをサッカーに次ぐ世界のメジャースポーツにしようというプランを持っています。それを一緒に目指していきたいですね。
平井:そうすると、国内だけでなく世界に向けたアピールも必要ですね。具体的には、何年後ぐらいにメジャースポーツの仲間入りを目指していますか?
銭谷:もう片足を突っ込んでいるのは実感としてあります。せっかく金メダルを狙える状況になってきて、ムーブメントも高まってきてオリンピックも東京開催されるので、この機会を一過性に終わらせたくない。もっと一般の方にもバドミントンに親しんでもらえるように間口を広げて、もっとトップ選手の裾野を広げながら選手を育成して、注目される機会を増やせるようにと目論んでいます。
平井:本当に選手の強化で結果が出始めた、良いタイミングで東京オリンピックが来ますね。狙っていらっしゃったのですか?
銭谷:いやいや、皆さんのおかげでこういう状況になってきたので、僕も気を引き締めて取り掛からなくていけないというプレッシャーの方が大きいです。
平井:2020年以降スポーツ界がどのようになっているのか、まだまだ想像がつかないところもありますが、バドミントン界としてはそこを機にさらに、2022年、24年にも大舞台が待ち構えています。メジャースポーツの仲間入りを果たし、さらに日本を代表する競技へと、改革はまだまだ続いているんですね。楽しみにしています!
Profile
銭谷 欽治
公益財団法人日本バドミントン協会 専務理事
元バドミントン選手
■生年月日/出身:1953年3月12日/石川県加賀市出身
■出身校:中央大学
高校生からバドミントンを始め、その戦績は全日本総合バドミントン選手権大会男子シングルで1976年からの4連覇を皮切りに、1984年までに7度も制覇し、他にも全日本社会人バドミントン選手権大会や全日本実業団バドミントン選手権大会など、多数の優勝経験を持つ。