平井理央のスポーツ大陸探検記

Vol.1

2018.10.31

私のスポーツ履歴書

思えば、マイナスからのスタートだったのかもしれない。
フジテレビに入社して1年、私が配属されたのは、夜のスポーツ番組のMCだった。当時の私は知らないことだらけで、野球やサッカーのルールは辛うじて分かるけど、知識はゼロに等しかった。そこからコツコツと、例えば野球のスコアをつけたり、柔道の技の名前を一つずつ覚えたり、手探りで進んでいった。体力的にも精神的にも、苦しい期間でもあった。
スポーツの魅力を、私が本当の意味で体感できたのは、番組担当になり2年経ったタイミングで開催された北京五輪だった。およそ3週間、スタッフルームに設けられた半畳ほどの更衣室の床で気を失うように仮眠を取りながらも、毎日取材とリポートに明け暮れた。スタジアムにいるだけで、選手・観客のボルテージが「五輪」のすごさをわからせてきたし、これまで取材を重ねてきた選手の躍動を目の前で見ることのできる興奮は、私を夢中にさせた。人生をかけて、練習してきた全てを夢舞台で出しきる、そして時には、様々な理由でその力を出しきれずに終わることもある、極限の世界で闘うアスリートに対するリスペクトが格段に深まった。

最高峰の本物を観ること。絵画でも、音楽でも、演劇でも、そこには人を惹きつけて、魅了する力があると思う。
北京以来、私の取材姿勢は大きく変わった。尊敬するアスリートのもっと素敵な素顔を引き出したい、知られざる努力をもっと知りたい、このプレーの何がどうすごいのか分かりたい。わからないことばかりで、不安で勉強していた時期から、わからないから楽しくてもっと知りたいというステージへ。周囲から、変わったと言われたし、自分自身でもその変化を強く感じていた。
退社後も、スポーツに関わる仕事は続けたくて、2016年にはラジオで、オリンピアンとパラリンピアンと鼎談するスタイルのトーク番組を自分で企画し、立ち上げた。
そこで新しく出会ったパラリンピアンの方たちの哲学に、衝撃を受けた。それまで、パラリンピックの現地取材には行ったことがなく、競技の知識も圧倒的になかった。話を伺ってみると、競技の面白さ、そしてパラリンピアン達の自己との向き合いの深さからくる人生観に魅力を感じた。こうなると、パラリンピックも是非「最高峰の本物」を観たい!ということで、2016年9月に行われたリオパラリンピックに自腹で1泊5日の弾丸ツアーを敢行した。
滞在時間47時間で、7競技を観戦した。パラパワーリフティング、ゴールボール、競泳、車椅子テニス、車椅子バスケ、ウィルチェアーラグビー、ボッチャ、どれも始めて観る競技だったが、本当に面白く、また会場の雰囲気もいい盛り上がりで、楽しかった。例えばボッチャは、的球にボールを近づけて勝敗を争う競技なのだが、最終的にミリ単位の戦いになる。その緊張感とスリリングな展開は見ごたえがあったし、単純にゲームとしてやってみたいと感じた。ウィルチェアーラグビーはコンタクトの激しさと戦術の駆け引きが面白く、得点シーンも多い華やかな競技で、日本もリオでは銅メダルを獲得し、2020年には金メダルが期待されている。
これが東京にきたら、パラスポーツは間違いなくブームになる、という確信をもって、初めてのパラリンピック取材はあっという間に幕を閉じた。

取材の対象としてだけではなく、自分で身体を動かすのも好きだ。決してスポーツセンスはないのだが、汗をかくと身体だけでなく、心もスッキリする。美容面でも自分の体質に合っているように思う。
2014年には、世界6大マラソンの一つニューヨークシティマラソンに出場した。プライベートや仕事で何度か訪れていた街だが、車やバスの移動でなく、自分で走ると、その都市がぐっと近く感じるし、観客のノリが地域によって全く違い、42.195キロ飽きることなく、とにかく楽しく走れた。子育てが一段落したら、またフルマラソンに挑戦してみたいと密かに思っている。

スポーツは観るのも、するのも楽しい。スポーツの旬な情報はいつも気になるし、スポーツファンの一人としても、2020年に向けて、スポーツ界がどう動いていくのか、とても興味深い。と言いつつも、スポーツという広範囲なフィールドを全て網羅するのは難しいので、このコラムではセレクトショップのような感覚で、これぞという情報をわかりやすくお伝えしていきたい。

※掲載写真撮影:平井理央

平井理央

Profile

平井理央

1982年11月15日、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、2005年フジテレビ入社。「すぽると!」のキャスターを務め、北京、バンクーバー、ロンドン五輪などの国際大会の現地中継等、スポーツ報道に携わる。2013年より、フリーで活動中。趣味はカメラとランニング。著書に「楽しく、走る。」(新潮社)がある。