年末年始は日本酒を飲む機会が増える。特にお正月は日本酒で新年を祝うことが多いだろう。日本酒は、法律上では「清酒」と呼ばれ、①米、米こうじ及び水を原料として発酵させて、こしたもの、②米、米こうじ及び清酒かすその他政令で定める物品を原料として発酵させて、こしたものという、どちらかを満たしたうえで、アルコール度数が22度未満のものをいう。
酒母造り
日本酒には多彩な種類があり、その味わいの違いは使用する酵母の個性に大きく左右される。麹が米を糖に分解し、酵母がその糖をアルコールへと変換する過程で、酵母は日本酒の香りや風味に重要な役割を果たすのだ。
現在、日本酒製造現場の過半数で使用されている酵母がある。これは、「協会7号」と呼ばれ、長野県の酒蔵、真澄(宮坂醸造)の諏訪蔵から分離されたものだ。
真澄 諏訪蔵にある「七号酵母誕生の地 記念プレート」
真澄の創業は寛文2年(1662年)まで遡る。宮坂家は戦国時代まで諏訪家の家臣だったが、刀を置き酒屋を始めた。明治から大正へと時代が遷り酒蔵の経営が厳しさを増す中、舵取りを任された宮坂勝は、年齢が近く酒造りに燃える窪田千里を杜氏に抜擢し、日本一の酒を夢見て全国の名門酒蔵を視察し、設備を整え、技術を磨いた。その成果が実るのは、昭和18年(1943年)のこと。全国清酒鑑評会で第1位の栄冠を獲得し、真澄の名前は広く知られるようになった。昭和21年(1946年)には春の全国新酒鑑評会と秋の全国清酒品評会の両方で1位から3位までを独占。これを期に国税庁醸造試験所の山田正一博士が真澄の酒蔵から新種の酵母を発見し、酵母は「協会7号」と名付けられて日本醸造協会から頒布されるようになった。
麹造り
そもそも優良な清酒酵母の分離が始まったのは明治時代に入ってからのことだ。それまでは、それぞれの蔵に住み着いていた家付き酵母により造られていたため、酒質にばらつきがあった。酒税を安定的に徴収したいと考えた明治政府は、明治37年(1904年)国立醸造試験所を設立。優良な清酒酵母を分離して培養し、全国の酒造に頒布することにした。この「協会酵母」の誕生によって、日本酒の品質は飛躍的に向上した。真澄の「協会7号」は、その名のとおり7番目に発見された酵母だった。
「こだわりの真澄」シリーズ
1980年代になると、人々の嗜好も変わり、濃厚で華やかな香りの日本酒が人気となった。けれども、7号酵母で造った日本酒は華やかな香りは強く出にくいといわれ、真澄でも吟醸香が高い酒質になる酵母も使用するようになっていった。
しかし、平成31年(2019年)には、若手社員たちが社内で長期保管されていた7号保存酵母の中から優良な株を再選抜し、7号系自社株酵母として分離。その酵母を使用した酒造りを開始し、真澄のアイデンティティである7号酵母への原点回帰を図った。現在は真澄のほとんどの日本酒を7号系自社株酵母で醸造している。
蔵元ショップ Cella MASUMI