古園石仏
古園石仏

神秘が漂う石仏の里、臼杵

にほん再発見の旅
2024年07月16日
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国内旅行
旅行記

磨崖仏(まがいぶつ)は、自然の崖に彫刻された仏像のこと。世界ではインドのアジャンター、エローラの石窟寺院や中国の敦煌莫高窟、雲崗石仏などがよく知られており、日本では奈良時代から平安時代初期ごろから造像されはじめたといわれ、特に平安時代後期から鎌倉時代になると盛んに造られるようになったとされる。国内では臼杵磨崖仏の他に、栃木県宇都宮市の大谷磨崖仏や福島県南相馬市の大悲山磨崖仏がよく知られている。

山王山石仏 山王山石仏

大分県には全国の磨崖仏のうち6~7割が集中しており、現在約90か所約400体が確認されている。中でも「臼杵磨崖仏」は、古園石仏、山王山石仏、ホキ石仏第一群、ホキ石仏第二群の4群61躯から成り、中央仏師の手による木彫技法(木の仏様を彫る技法)で造像された磨崖仏の美術的な価値と国内随一の磨崖仏の規模が高く評価され、平成7年(1995年)に59躯が国宝指定をうけた。これは、磨崖仏では全国初、彫刻としては九州初の快挙である。さらに平成29年(2017年)には新たに2躯が追加指定され、現在4群61躯すべての磨崖仏が国宝に指定されている。

「ホキ石仏第二群」第1龕 「ホキ石仏第二群」第1龕

「臼杵磨崖仏」は臼杵市の中心部から南西に位置する深田・中尾地区にある。入り口からルートに従って歩くとまず現れるのがホキ石仏第二群だ。ホキ石仏第二群は2龕(がん)から成り、第1龕には、阿弥陀如来坐像を中心に、左右に脇侍として観音菩薩、勢至菩薩が配した阿弥陀三尊像が彫られている。これらは平安時代末期に造られたもの。続いて第2龕は九体の阿弥陀如来像が並ぶ「九品阿弥陀」で、造られたのは1龕と同じく平安時代末期と考えられている。

ホキ石仏第一群 第2龕 ホキ石仏第一群 第2龕

ホキ石仏第一群は4つの龕から成る。見どころの中心となるのは第2龕で、中尊に、目、眉、髭を墨で描かれた阿弥陀如来坐像、そして薬師如来坐像、如来坐像が並ぶ。三尊とも平安時代末期に造られたもので、中央仏師が製作した磨崖仏群のうち最初に彫刻した磨崖仏ともいわれている。いずれも彫技が優れ傑作といわれている。
第1龕には、如来坐像3体と菩薩立像2体(平安時代末期)、第3龕は大日如来像ほか4体(13世紀)、第4龕は、中尊に地蔵菩薩半跏像を据え、左右に5体ずつ十王像を配した地蔵十王像となっている(鎌倉時代)。

山王山石仏 邪気のない童顔 山王山石仏 邪気のない童顔

山王山石仏は、中央に丈六の如来像、左右に脇尊として如来を配する珍しい形で構成されている。邪気のない童子のように顔の輪郭は丸く、こじんまりとした目鼻と語り掛けてきそうな口元が特徴だ。平安時代後期に造られたもので、「隠れ地蔵」とも呼ばれている。

古園石仏 古園石仏

古園石仏は、臼杵磨崖仏の中心的な存在だ。中尊大日如来像は、切れ長の伏し目、引きしまった口元、高く秀でた眉が作り出す気品あふれる表情をもち、日本における石仏の最高傑作といわれる。制作年代は12世紀末から13世紀初頭といわれ、以前は仏頭が落ち、台座の上に安置されていたが、平成5年(1993年)に、仏頭を復位する保存修理が行われ、かつての荘厳な姿が再び見られるようになった。

臼杵磨崖仏は見学しやすいように整備されており、山道を歩きながらのんびりと巡ることができる。芸術的な価値が高いにもかかわらず、造った人物やその目的は明らかにされておらず、今も謎の多い臼杵磨崖仏。悠久の時を超え、今もなお静かに時を刻む磨崖仏を巡り、心穏やかな時間を過ごしてみてはいかがだろう。

協力=(一社)臼杵市観光協会 文=磯崎比呂美
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