日本では、約1300年も前から食用として、また薬として用いられてきた「梅」。中でも「梅干し」は常温保存ができる上、食中毒予防や疲労回復などにも効果があるとして、おにぎりやお弁当の具としてよく使用されてきた。
日本全国における梅の年間収穫量はおよそ9万5,500tで、そのうちの64%※を和歌山県が占めている。和歌山県はまさに梅王国。江戸時代より県の中部に位置する日高郡みなべ町と田辺市を中心に栽培が行われてきた。
※令和5年度産 うめの都道府県別収穫量割合(農林水産省)
田辺梅林 写真提供:公益社団法人 和歌山県観光連盟
紀州藩は1620年ごろに誕生するのだが、この地は山が多く、土地もやせ、米が育ちにくかった。そこで、当時の田辺藩主だった安藤帯刀が生命力の強い「やぶ梅」の栽培を奨励した。以来、梅の栽培が広がり、梅の一大産地となった。けれどもこの地域で植えられていた梅は品種が統一されておらず、品質もばらばらだった。
大きく果肉も厚い「南高梅」青梅 写真提供:和歌山県食品流通課
当時この地域で栽培されていた梅は100種類以上あったという。そこで昭和25年(1950年)、上南部農業協同組合(現在の紀州農業協同組合)は市場の安定を図るために「優良母樹調査選定委員会」を設立。南部高校園芸科の竹中勝太郎教諭を委員長とし、南部高校の生徒たちも母樹選定調査に協力した結果、5年の歳月を経て、最優良品として肉質が厚く皮も柔らかい「高田梅」が選出された。そして「高田梅」の名と選定調査に関わった南部高校の名にちなみ、「南高」と品種登録された。
梅の天日干し 写真提供:公益社団法人 和歌山県観光連盟
みなべ・田辺地域で、梅の栽培が定着したのには、温暖な気候と、1年を通じて気候の変化が少ないこと、土壌が中性質で水はけがよいことなどが挙げられる。また、江戸時代から400年以上もの間、独自の農業システムを確立したことも見逃せない。①やせた山地の斜面を利用して梅栽培を行うため、保水・崩落を防止する目的で、紀州備長炭の原料となる薪炭林を梅林の周辺に残して、里山を保全。②自家受粉できない南高梅の受粉を、薪炭林に住むミツバチが助ける。③地域ぐるみで、梅の生産から加工、販売までを一貫して行う。④自然環境を守り多様な生物の生態を維持するという、4つのポイントは高く評価され、2015年には国際連合食糧農業機関で、世界農業遺産「みなべ・田辺の梅システム」が認定された。
南高梅の梅干し 写真提供:和歌山県食品流通課
梅は生のまま食べることはない。そのため、栽培方法には注目されてこなかったが、収量安定と品質向上のため、農家では土壌改良や剪定などを行い、一つひとつ丁寧に梅の実は育てられている。収穫の時期は、青梅は5月下旬から6月中旬。南高梅の完熟梅は6月中旬から下旬にかけて。梅干しに使用する梅は樹上で完熟し、自然に落下したものを使用。樹の下に敷いたネットで受け止められたものが集められ収穫されている。
みなべ梅林 写真提供:公益社団法人 和歌山県観光連盟
クエン酸をはじめとする有機酸を豊富に含み、健康食品としても人気を誇る梅。特に塩漬けして作られる梅干しは、熱中症対策としても注目されている。また、梅酒、梅シロップ、ジャム、醤油漬けなどさまざまな加工品があり手軽に楽しむことができるのも魅力だ。
梅の里、和歌山の梅生産を支えるみなべ・田辺地区。慌ただしい収穫時期を迎え、果肉の厚い梅たちが市場に出回るようになるのは、もうまもなくだ。