アイルランド 海賊女王の居城跡「ウエストポート・ハウス」

海外現地ライター便り
2024年05月15日
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アイルランドのメイヨー県にあるウエストポート・ハウスは、海賊女王グレイス・オマリーの居城跡としても知られています。今回は、およそ300年にわたり贅を尽くして改築を重ねたウエストポート・ハウスの魅力をご紹介します。

海賊女王グレイス・オマリーの居城跡

海賊女王グレイス・オマリーの居城跡

ウエストポート・ハウスは、海賊の女王グレイス・オマリーの居城跡に建てられました。当時、女性が藩のトップになることは非常に珍しく、例がなかったと言われています。グレイス・オマリーは、幼いころからその勇敢さを認められた逸材で、9歳の頃にはその才覚を示し、最初は反対していた父親から船に乗ることを許されたと言い伝えられています。

グレイス・オマリーはいくつも居城を持っていましたが、そのほとんどが水辺で、陸にしっかりとした居城を持ちたかったため、この地に居城が建てられたとも伝えられていますが、実際のところは謎に包まれています。

この居城が建てられた当時は、すぐ目の前に海岸があったそうです。実は、グレイス・オマリーの子孫であるブラウン家が、居城跡にウエストポート・ハウスを建築してからだいぶ後に、巨額の資金を投じて海岸の埋め立て工事をしたそうです。なんと2マイル(約3.2km)も海岸線を海側に押しやったそうで、今は広大な森になっています。

当時の居城跡の痕跡は、地下のダンジョンだと信じられていますが、ツアーガイドの話によればいまだに調査中で、ダンジョンがグレイス・オマリーの頃から続くものであるという証拠がまだ見つかっていないそうです。ただ、この地に居城があったことは、文献などから明らかになっているそうで、グレイス・オマリーのファンにはとても魅力的な場所と言えるでしょう。

イタリアの職人がデザインしたエントランスホール

開放感のあるエントランス・ホール

ウエストポート・ハウスは、リチャード・カースルズやジェームズ・ワイアット、トーマス・アイボリーといった有名な建築家たちによってデザインされました。邸宅内に入るとまず目に入る開放感のあるエントランス・ホールは、イタリアから職人を呼び寄せて作られたそうです。

ピンクの小窓

手を握ると奇跡が起こると信じられている正面のエンジェル像の前を右折して2階に上がると、目の前にピンクの小窓があることに気づきました。窓からは1階のエントランス・ホールが見渡せます。窓の反対側(エンジェル像の頭上)にはさらに大きな採光を意識した窓があり、ここからの光が、2階の小窓を通して1階のホールまで届くようになっています。このスタイルはベネチアでも見たことがあります。自然光を利用した演出と、ピンクの窓の組みあわせで、エントランス全体にロマンチックな雰囲気が漂っていました。

焼け落ちた図書館と残った本たち

焼け落ちた図書館と残った本たち

この部屋はもともとお客さんのウェイティング・ルームだったそうですが、今は図書館になっています。1825年頃、夜更けに南側の図書館で火事が起こり、コレクションの本のほとんどが焼失してしまったそうです。召使いが本を読んでいたところ、誤ってロウソクを床に落としてしまったことが原因と言われています。本棚の本を見てみると新しい時代の本が多く、その時代の本はほとんど残ってはいなさそうでしたが、いくつかは古めかしく煤が付いたかのように汚れていました。

この空間に一人でいると、子供の頃、百科事典を読み漁っていたときのワクワク感を思い出しました。こんな図書館が家にあったら、時間が流れるのを忘れて穏やかな時間を過ごせそうですね。

応接間と青の部屋

応接間

応接間は、ディナーの後に主人が客人と政治的な話をするときなどに使われたそうです。とても開放的な空間で、細かなディテールまで心を配ったデザインが素晴らしいですが、立ち入り禁止になっていたのが残念でした。

青の部屋

青の部屋には、ブラウン家の人々の肖像画が飾られています。最も新しい肖像画は絵ではなく3人の幼い女の子の写真でした。皆嬉しそうに笑っている写真で、この邸宅に生まれ育った女の子たちは、とても幸運の持ち主だと思いました。

しかし、ツアーガイドの話を聞いてみると、彼女たちはその後資金繰りに失敗し、この邸宅を去らなければならなかったことを知りました。オークションに出されたのは、ほんの10年前のことで、このウエストポート・ハウスを修復しながら管理してくれる所有者に明け渡すために、やむを得なく手放したとのことでした。最後の最後まで、この土地を離れたくなかったそうで、いつかまた、ブラウン家の人達が300年も先祖代々受け継いできたこの土地に戻ってこられる日が来ることを願います。

ダイニングルームのテーブルウェアとお揃いの窓

オレンジとブルーの組み合わせが美しいテーブルウェア

こちらは、オレンジとブルーの組み合わせが美しいテーブルウェアですが、思わず目をひきますね。テーブル以外はすべて当時のものが置かれているそうです。ブラウン家に嫁いだケリー家の一人娘エリザベス・ケリーが、実家からの支援を受けてダイニングルームと邸宅全体を豪華に改築したと言われています。ケリー家はジャマイカのプランテーションで財を成した人達でした。

廊下とダイニングルームの間にある窓

こちらは、廊下とダイニングルームの間にある窓です。ダイニングルームのテーブルウェアと同じカラーで統一されていることに、あとで気づきました。写真をよく見ると、つる植物のようなデザインも、よく似ていますね。テーブルウェアと窓のデザインを合わせるなんて、相当におしゃれな女性だったという印象を受けます。

まるで冷蔵室のように冷えるダンジョン

まるで冷蔵室のように冷えるダンジョン

今までいくつかのお城でダンジョン(地下牢)を見てきましたが、ここまで冷えているダンジョンは初めてでした。ワインセラーを置くにはちょうど良いと思いますが、かつてここに閉じ込められていた囚人たちが気の毒になりました。

やはり、修復が追いついていないせいか、空気孔の工事などが進んでおらず、閉め切った臭いがこもっていて、少し重い気分になりました。しかも誰もいない空間に独りぼっちでダンジョンにいると、どこかおどろおどろしい雰囲気をあちこちから感じます(霊感が強いわけではないのですが)

狙っているわけではないのですが、お城に行くとなぜか他に誰も観光客がいない時が多いです。おかげで静かに観光できるのでよいのですが、ダンジョンと隣のトイレはさすがに怖かったです。ちなみに、仕方なくそのトイレに入ったのですが、思ったより綺麗で驚きました。

2階のお部屋と窓から見える景色

メインベッドルーム

こちらは、メインベッドルームとして使われていました。格式高い赤をふんだんに使用したインテリア・デザインです。

貴婦人のための「朝の部屋」

こちらは、貴婦人のための「朝の部屋」と呼ばれていた部屋です。その昔電話がなかった時代、貴婦人はこういった部屋で手紙を書いたり、読書したり、訪問客と会話を楽しんだりして朝を過ごしたそうです。また、召使いたちへの仕事の指示や、セールスマンに挨拶をするのもこの部屋だったそうで、夜中まで友人と会話をしたり買い物したりできる現代とはまったく違う朝の時間の流れが、昔はあったのだなと実感させられます。

2階の窓から

2階の窓から南西の方向を見ると、聖なる山クロー・パトリックが見えます。クロー・パトリックは聖パトリックが修行をしたと言われている山ですが、ケルト人たちが自然崇拝をしていた頃から、聖なる山として崇められてきた山です。

ウエストポート・ハウスのアクセスや駐車場

ウエストポート・ハウスの敷地内の案内

ウエストポート・ハウスの敷地内には、同じ系列のファームハウスとグランピングサイトがあり、その手前に一般の駐車場があります。バーが降りているので暗証番号がある人しか奥の駐車場には停められないようです。手間の駐車場からウエストポート・ハウスまでは徒歩10分ほどで着きます。5月後半以降は、トレイン・ツアーや子供向けのアトラクションもオープンし、家族連れで賑わいます。

West port house
住所:Quay Rd, Westport Demesne, Westport, Co. Mayo, F28 K6K6

ウエストポート・ハウス

今回は、ウエストポート・ハウスの魅力と海賊女王グレイス・オマリーをご紹介しました。今後調査が進んで、ダンジョンの調査が進むともっと面白い発見が出てくるのではないかと思います。興味のある方はぜひ、見学ツアーなど参加してみてはいかがでしょうか?

文・写真= Maroon
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