今年3月16日、北陸新幹線の石川県の金沢駅-福井県の敦賀駅間が開通し、東京から最短3時間8分で到着できるようになった。首都圏からアクセスしやすくなり、観光でもビジネスでも今後ますます多くの人が訪れると期待されているが、実は100年以上も前にも敦賀と東京を結ぶ鉄道があったことはあまり知られていない。
当時の姿を留める日本最古の「小刀根トンネル」
敦賀は、古くから北前船や海外交易の中継地として栄えた港町というだけでなく、鉄道でも時代を先取りしてきた街である。明治17年(1884年)に敦賀駅―長浜駅間に日本海側で初めて鉄道が開通。さらに明治29年(1896年)には敦賀駅―福井駅間が開業するなど、物流の難所であった峠を貫くいくつものトンネルを完成させることで、日本海と太平洋との最短ルートが作られていった。
戦後は昭和32年(1957年)にいち早く交流電化(※)が完成するほか、昭和37年(1962年)には完成当時日本最長だった北陸トンネルも開通。日本海側の交通の要として、重要な役割を果たす街であった。
※交流電化:道の電化方式の1つで、交流電源を用いる方式のこと。
旧敦賀港駅舎
東京から、敦賀を経由してフランス・パリまで切符一枚で渡航できる「欧亜国際連絡列車」が開通したのは大正元年(1912年)のことだ。これは、東京の新橋駅から敦賀まで鉄道で移動し、敦賀港からウラジオストク(ロシア)までを船で渡り、そこからシベリア鉄道でヨーロッパ各地へと訪れることができるという画期的なルート。
航路ならば東京からヨーロッパまで1ヵ月もかかっていたところが、このルートならばパリまで17日。ヨーロッパまでの最短ルートは、歌人与謝野晶子、探検家アムンゼン、そしてストックホルムオリンピックに出場した金栗四三ら日本選手団など、世界各国の著名人に利用され、敦賀港は日本海側屈指の国際港として知られるようになった。
敦賀鉄道資料館
現在、旧敦賀港駅舎となっているのは平成11年(1999年)に再現されたもので、平成21年(2009年)より、敦賀鉄道資料館として公開。パネルや映像で敦賀の鉄道の歴史を紹介するほか、線路、信号機、投光機、通票閉そく機などの貴重な鉄道資料や優等列車、敦賀第一・第二機関区などの列車模型などを展示。当時の様子を今に伝えている。
「敦賀赤レンガ倉庫」
敦賀の街には、明治から昭和初頭にかけて栄えた面影が随所に残っている。中でも、外国人技師の設計によって明治38年(1905年)に輸入された、石油の貯蔵庫として使用していた旧紐育スタンダード石油会社倉庫「敦賀赤レンガ倉庫」は、国際都市として繁栄した敦賀の象徴と言えるべき存在だ。これは、長い歴史の中で軍の備品倉庫や昆布の貯蔵庫としても使用されたともいわれ、レンガ造りの建物はレトロな雰囲気が漂い、懐かしさの中に新しさを感じさせられる。
「敦賀赤レンガ倉庫 ジオラマ館」
現在、「敦賀赤レンガ倉庫」は北棟が鉄道と港の「ジオラマ館」、南棟が「レストラン館」となっており、誰もが気軽に訪れる国際都市であった敦賀の鉄道と港の歴史と港町ならではの絶品グルメを楽しめるスポットになっている。
また、海外へと開かれていた敦賀湾は、ロシア革命の動乱によりシベリアで家族を失ったポーランド孤児、さらに第二次世界大戦中に杉原千畝氏の発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の地としても知られている。そして当時、街の人たちが彼らを温かく迎え入れたという。
「人道の港 敦賀ムゼウム」
敦賀港を望む場所に立つ「人道の港 敦賀ムゼウム」は、これらの歴史を後世に伝える資料館だ。大正から昭和初期にかけて敦賀港に実際にあった敦賀港駅や税関旅具検査所などの4棟の建物を当時の位置に復元。館内では、関係者が寄贈した資料をはじめ、シアターやアニメーション展示などを行い、人道の港の歴史を紹介している。
新幹線開通で賑わいをみせる敦賀。国際色豊かな長い歴史を紐解き、街を歩いてみると、また新たな感動が味わえるのではないだろうか。
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