トラベル&ライフ2022年4-5月号の特集「ぐるっと四国!おもてなしの旅」のお遍路体験で訪ねたのは、愛媛県松山市にある51番札所の石手寺。最初の堂宇が建立されたのは飛鳥時代の670年頃と伝わる古刹で、国宝の仁王門をはじめ重要文化財の本堂、三重塔、鐘楼など見どころが多い。
国宝の仁王門は風格あるたたずまい
国の重要文化財の本堂
石手寺という名は、お遍路の発祥とも伝わる「衛門三郎再来の説話」に由来する。
その昔、この地に衛門三郎という長者がいた。ある時、みすぼらしい身なりの僧が一夜の宿を求めて訪れたが、「汚いものめ、働かぬからだ」と僧を追い返した。何度も訪ねてくる僧に業を煮やして突き飛ばすと、僧が持っていた托鉢の鉢が落ちて8つに割れてしまう。その後、8人いた衛門三郎の子どもたちは相次いで亡くなり、悲嘆に暮れる中であの時追い返した僧が弘法大師だったと気づき、無礼を詫びるため弘法大師を追って四国巡礼に出た。これがお遍路の起源といわれている。
霊場を回ること21回。彼はついに阿波の国の焼山寺の麓で病に倒れてしまう。死の淵をさまよう彼のもとに弘法大師が現われ「よくぞ修行し改心した。望みがあれば叶えよう」と言うと、彼は「生まれ変われるなら領主に生まれ人を助けたい。今度こそはお泊めしたい」と答えたという。弘法大師が「衛門三郎再来」と書いた石を握らせると、彼は安心して息を引き取った。
数年後、この地の領主の家に手が開かない男の子が誕生。安養寺の住職が祈祷したところ、手を開き、その手には「衛門三郎再来」と書かれた小石を握っていたといい、それ以後、安養寺は石手寺と改称した。この"衛門三郎再来の石"は今も宝物館に納められている。
境内の入口にある衛門三郎の像
今回、参加した「石手寺お遍路体験」は「松山はいく」が実施する観光プログラムで、袖なしの白衣、輪袈裟、金剛杖、菅笠の遍路装束を身に着け、道後温泉駅前付近から石手寺までをガイドと一緒に歩いて石手寺を参拝する。お遍路にまつわる話はもちろんだが、松山の見どころなどについても案内してくれる。
坊っちゃんカラクリ時計
せり上がった状態
待ち合わせは、道後温泉の名所「坊っちゃんカラクリ時計」。道後温泉本館100周年記念事業の一環として平成6年(1994年)に作られたもので、外観は道後温泉本館の振鷺閣をモチーフにしたという。音楽が流れるとカラクリ時計がせり上がり、松山を舞台に夏目漱石が描いた小説『坊っちゃん』の登場キャラクターが登場する。通常は午前8時から午後10時までの毎時ちょうどに現れるが、土・日曜、祝日や観光シーズンなどは30分ごとに仕掛けを見ることができる。
日本を代表する俳人であり、夏目漱石の親友としても知られる正岡子規は伊予国温泉郡藤原新町(現・愛媛県松山市)生まれ。漱石が愛媛県尋常中学校に英語教師として赴任していた時期に、子規は病気静養のために帰郷し、漱石の下宿先に一時身を寄せていたのは広く知られている。
バットを手にする正岡子規の像
「坊っちゃんカラクリ時計」のすぐ近くには、野球のユニホーム姿でバットを持った正岡子規の像が立つ。子規は松山にバットとボールを持ち帰り、中学生に野球を教えたといい、野球用語を日本語に訳したのも子規と伝わる。
石手寺へ向かう県道187号線沿いには、漱石や子規、種田山頭火などの句碑が点在。今回「石手寺お遍路体験」でガイドを務めてくれた渡部和也さんがそれぞれの人物や俳句に関するエピソードを話してくれるので、日本を代表する文豪や俳人が身近に感じられ、松山ならではの文学散歩が楽しめる。