はるか昔から涼をとるために使われてきたうちわ。手に持ってぱたぱたと扇げば、手軽に涼しくなるすぐれものです。また、多彩な形のうちわがあり、料理を冷ます、火起こし、濡れたものを乾かすなど、さまざまな用途に使われてきました。古くは、高貴な人が顔を隠したり、扇ぐことで邪気を払ったりするために使われていたといいます。
用途によってさまざまな形のうちわがある
香川県丸亀市はうちわの生産量が日本一で、毎年約1億本、国内で作られるうちわの約9割が作られています。丸亀市でうちわが作られるようになったのには諸説あり、定かではありませんが、慶長5年(1600年)、九州の熊本を訪れた丸亀の旅僧が一宿一飯のお礼にうちわの作り方を教えたと伝わることから、江戸時代初期にはすでに丸亀うちわが作られていたと考えられています。
寛永10年(1633年)には、金毘羅参りのお土産として「渋うちわ」が誕生。朱色に丸金印が描かれたうちわは参道で売られて人気を集めました。さらに、天明年間には、丸亀藩がうちわ作りを武士の内職として奨励し、丸亀におけるうちわの生産量は増えていきました。
骨にのりをつけて地紙を貼り付ける「貼り」の工程
鎌を通し、糸を縛って穂を編む「編み」の工程
丸亀うちわには、丸い竹のまま使用した「丸柄うちわ」と竹を削って平たくした「平柄うちわ」があります。もともと、金毘羅参りのお土産として売られていたうちわは、太い竹で作った「男竹丸柄うちわ」でしたが、その後、細い竹を使用した「女竹丸柄うちわ」の作り方が伝わり、藩士の内職で多く作られました。明治時代には、「奈良うちわ」に習い、作り方がより簡単な「平柄うちわ」が誕生。現在の主流になっています。
丸亀うちわの特徴は、1本の竹からできていること。山に生えている竹を取り、竹の骨の製作から和紙を貼って仕上げる。一つのうちわが完成するまで47もの工程があり、昔は分業でしたが今では1人の職人が行います。特に、持ち手の「柄」の部分から、紙を貼る「骨」の部分を作る「割き」の作業には高度な技術が必要でしたが、大正時代には脇竹次郎氏が「切込機」を発明。さらに、竹を割いた後に、広げた骨を支える鎌を通す穴を開ける「穴明け機」の誕生によって、大量生産が可能になり、丸亀は日本一のうちわの生産地としてその名を知られるようになりました。
デザイナーとのコラボうちわ「サヌキモノウチワ」
けれども、時代の流れとともに、扇風機やエアコンなどが普及し、生活用品としてのうちわの生産は減少しました。また、丸亀でもポリうちわの製造が始まり、竹製の伝統的なうちわの生産も減っていきました。
現在、丸亀うちわは職人の高齢化、後継者不足や業者の廃業が深刻化しています。香川県うちわ協同組合連合会では後継者育成事業を実施。丸亀うちわ技術技法講座では、一般の人を募集してうちわの技術・技法を伝えています。その講座も今年で24回目となり、7期生までの修了生の中には伝統工芸士になった方もいて、昔からの技術を伝承しながら、新しい感性のうちわを生み出しています。うちわの総合博物館「うちわの港ミュージアム」では、丸亀うちわの歴史を伝えるさまざまなうちわ、うちわづくりの模型人形、貴重な文献などのほか、新しい作品も展示。丸亀うちわの魅力を発信しています。
まだまだ続く暑い夏。今年は、職人の技が光る伝統的な丸亀うちわで、心地の良い夏を楽しんでみませんか。