暑い夏になると食べたくなるのが甘く冷たいアイスクリーム。口の中でとろけるおいしさは、かき氷とはまた違った味わいがあり、子どもから大人まで愛され続けている。では、アイスクリームはいつ日本で作られるようになったのだろうか。今回は、アイスクリームの発祥について紹介したい。
日本人とアイスクリームの出会いは、1860年(万延元年)のことだ。日米修好通商条約批准のため、幕府がアメリカに派遣した使節団が、迎船フィラデルフィア号の中での晩餐でアイスクリームを食べたのが最初といわれる。使節団の一行はその甘くとろけるおいしさに驚嘆し、その感動を航海日記にも記したほどだった。
馬車道は日本で初めてガス灯が灯ったことでも知られる
その後明治2年(1869年)に、使節団に随行した町田房蔵が、横浜馬車道で氷水店をオープンし、氷を砕いて蜜や砂糖をかけた氷水と一緒に、日本人で初めてアイスクリーム「あいすくりん」を販売した。当時のアイスクリームは牛乳、卵黄、砂糖で作った、シャリっとした食感だったといわれる。また、「あいすくりん」は、小さなガラスの器に一盛りで金二分(当時の大工の日当ほど)と高価なものだった。一般庶民が口にすることはできず、外国人などの富裕層が楽しむだけだった。
「あいすくりん」の名が知られるようになったのは、翌年に開催された伊勢山皇大神宮の大祭でのこと。町田房蔵氏が茶店でアイスクリームを販売したことがきっかけとなり、横浜には「あいすくりん」が食べられる店が増えたといわれる。
彫刻家・本郷新(ほんごうしん)による「太陽の母子像」
現在、馬車道には「太陽の母子像」がある。これは、昭和51年(1976年)11月、日本アイスクリーム協会がアイスクリーム発祥記念として馬車道に寄贈したものだ。
また、昭和39年(1964年)から、東京アイスクリーム協会(当時)が馬車道でアイスクリームが製造販売されたと伝わる5月9日を「アイスクリームの日」と制定。昭和51年からは、毎年周辺日にイベントを開催して、馬車道がアイスクリーム発祥の地であることを今に伝えている。
YOKOHAMA BASHAMICHI ICEの「できたて横濱馬車道あいす」
現在、当時作られていた「あいすくりん」を食べることはできないが、横浜赤レンガ倉庫2号館にある「YOKOHAMA BASHAMICHI ICE」では、当時の風味を現代風にアレンジして再現した「できたて横濱馬車道あいす」が味わえるのでぜひ立ち寄ってみたい。レトロシックな雰囲気が漂う横浜馬車道。どこか懐かしさを感じる味わいを楽しみながら、明治時代に思いを馳せるのもおもしろい。