トラベル&ライフ2020.6-7月号で訪ねた会津若松。本誌でも紹介した「ほしばん絵ろうそく店」は、安永元年(1772)創業以来、変わらぬ製法を守り続ける老舗。
色鮮やかな花をモチーフにした数多くの絵ろうそくが店頭に並ぶが、もっとも伝統的な柄は牡丹と菊。その後、昭和30年代ごろから徐々に絵柄を増やし今では十数種類もある。
「もともとは冬の寒さが厳しくて仏壇に生花があげられなかったので、その代わりに絵ろうそくをあげていました。そうした歴史があるので、うちでは花を描いています。花も洋花ではなく和花、古くから日本にある花に限っています。ろうそくが和ろうそくですから、和花の方が合うと思うんです」と話すのは、絵付けを担当する星久仁子さん。9代目の星一榮さんの奥様だ。
飾っているだけで、花をお供えしているのと同じ意味を持つ絵ろうそく。近年は猛暑で花が長持ちしない時期にもおすすめだ。
会津若松の街歩きで興味を引いたひとつが「野口英世青春通り」。通り沿いの街灯には英世の似顔絵が飾られ、近くには彼の偉業をしのんで建てられた銅像もある。故郷の猪苗代のシンボル・磐梯山を仰ぎ見て立ち、台座には座右の銘「忍耐」という文字が刻まれている。
実は、本誌で紹介した7代目新城猪之吉さんが暖簾を守る末廣酒造は、野口英世ゆかりのスポットでもある。野口英世の生涯を語るうえで重要な人物のひとりで、英世が父と慕っていたのが恩師の小林栄だ。貧しい家に生まれた英世を学校に通わせ、生涯にわたって支えたのが彼である。
その小林栄の姉が3代目新城猪之吉に嫁ぎ、また、小林夫妻に子供がいなかったことから、5代目新城猪之吉の姉を養女に迎えたという縁がある。そうした関係もあり、英世の母・シカはたびたび末廣酒造に立ち寄っていた。
展示室の一角には、英世の母・シカが行商で売っていたつけ木があるほか、ホールには朝食をとっていた際に使われていた囲炉裏が残る。
英世の母・シカが売っていたつけ木
ちなみに、野口英世は幼名を清作というが、21歳の時に改名している。きっかけは、坪内逍遥が書いた当時のベストセラー小説『当世書生気質』だった。登場人物の「野々口精作」は医者を目指す優秀な学生だったが、勉強をせずに堕落していくという話だったため、清作は戒めも込めて改名をしたという。
「英世」という新しい名をつけたのも小林栄である。