ダウンタウンは保護が法律で義務付けられている「歴史的建造物」が多い場所です。カメハメ大王像が立っているあたりは観光ポイントになっていて、観光で訪れた人も多いことでしょう。
今回は観光客にはほとんど知られていない、ダウンタウンのマーチャント通り沿いにご案内しましょう。この通りは地元では「Merchant Street Historic District」と呼ばれている場所で、100年以上前からあるビルが道沿いにずらりと並んでいます。
この建物は1908年に「横浜正金銀行(三菱UFJ銀行の前身)」のハワイ支店として建設されたものです。
歴史的建造物の壁には建物の歴史が書かれた鋳物パネルがはめ込まれていてこの建物の歴史を知ることができます。この銀行はハワイ王朝最後の君主リリウオカラニ女王の力添えでハワイに支店を開けたのですが、1941年12月7日の太平洋戦争開戦によって建物はアメリカ軍に没収されたことが記されています。現在このビルには教育関連の施設が入っています。
こういったパネルがはめ込まれたビルはアメリカの国家歴史登録材、重要文化財なんです。散歩しながらひとつひとつ読んでいくと100年以上前のダウンタウンの様子が目の前に広がってくるような気持ちに。
こんな風に古めかしいビルと新しいビルが隣り合わせて立っているのがマーチャント通りの典型的な風景です。正面の石造りのビルは1896年に建造された「ビショップ財団」のオフィスです。
「ビショップ財団」は王族でハワイの10分の1の土地を所有していたパウアヒ王女の夫であるビショップ氏が王女の死後に創設した財団で、ビショップ・ミュージアムや、ハワイアンたちのための学校カメハメハスクールを創設するなど、妻の残した財産をハワイのために費やしました。
右側の白いビルは1858年に初めてハワイに銀行を立ち上げたビショップが1877年に建てたビショップ銀行の本店です。
通りの手前右の建物は地元の実業家ウォルター・ピーコックが「ロイヤルサルーン」の名で1890年に建てたバーのあと。1987年からは「マーフィーズ」がパブを引き継いでいます。
道を挟んで手前はアイリッシュバー「オトゥール」。この建物はハワイ諸島間を蒸気船でつないだ「インターアイランド・スティーム・ナビゲーションカンパニー(後のハワイアン航空)」を立ち上げたトーマス・フォスターの没後、その功績をたたえて1891年に「フォスタービルディング」の名で建設されたもの。
その隣の石造りのビルは1895年に建てられ、1923年まで日系人移民たちに購読されていた新聞社「日布時事(Nippu Jiji)」の社屋だったものです。日本とハワイの深い関わりは、こんなところにもあるんですね。
通りの先に見えるのは1930年に警察署として建てられたもの。この時代の建築はコロニアル様式やアールデコ調のものが主流で、まるでスペインの街角のようでもあります。
ダウンタウンにお出かけの際は、マーチャント通りにもぜひ立ち寄ってみてください。