今年は「ハワイ日系移民150周年」です。明治元年(1868年)にホノルル港に到着したハワイ初の日系移民「がんねんもの」約150人がハワイにやって来てから150年が経ったハワイには、日系移民の子孫たちが集まって暮らす町があります。
一つはワイキキからノースショアに行く途中に通るサトウキビ畑があった場所「ワヒアワ」。そしてもう一つが、ワイキキからアラワイ運河を挟んだ山側に広がる「モイリイリ」。ここは日系二世や1900年以降ハワイに渡った日本からの自由移民たちが造り上げた町です。車で通ると素通りしてしまいそうな静かなエリアですが、歩いてみると 移民たちの残してくれた日系カルチャーに出会うことができますよ。
モイリイリの中心部、キング通り、ベレタニア通り、ユニバーシティ通り三叉路にあるトライアングルゾーンにはホノルルの姉妹都市、広島県と広島商工会議所から2001年に寄贈された嚴島神社を模した鳥居(実物の二分の一サイズ)が立っています。
さらにここから約100メートル西側には「ハワイ日本文化センター」があり、日系移民の歴史展示やスペースシャトルの事故で犠牲となった宇宙飛行士エリソン・オニヅカ氏の展示が観られます。
そして三叉路からユニバーシティ通りを50メートルほど歩いた先には「モイリイリ本願寺」が。ここは毎年7月の上旬にボンダンス(盆踊り)で賑わいます。
また、三叉路からキング通りを東に200メートルほど歩くと、1939年にタカヤマ・ジヘイ、ツヤ夫婦が始めた 「FUKUYA-福や」があります。色々ならんだお惣菜から好きなものを選ぶスタイルのお店は、おかず屋と呼ばれて数多くありましたが、近年は経営者の高齢化や、時代の波に押されて多くが閉店。FUKUYAのようなお店は今では貴重な存在です。
三角形のいなり寿司は三角錐を意味するCONEから取って、ローカルたちの間では「コーン寿司」と呼ばれています。ハワイでいなり寿司というと昔はほとんどがこれだったようですが、最近は あまり見かけなくなりました。醤油チキンや煮しめなどは人種の隔たりなく愛されて、ローカルの食文化にすっかり溶け込んでいます。
オアフ島に22店舗、ハワイ島とマウイ島に各1店舗を展開するローカルのファミレス「ジッピーズ」の第1号店があるのもモイリイリです。ここは1966年に日系二世のヒガ兄弟が「サイミン・ラナイ」を併設したファストフードカウンターをオープンしたのが始まり。
サイミンは一見ラーメンに似ていますが、その起源は日本蕎麦。日本の食べ物が恋しい、蕎麦が食べたいという移民たちの思いです。蕎麦粉がないので麺は中華麺を代用し、そばつゆは鰹節が入手困難だったため出汁に干しエビを使って仕上げたという努力の賜物なのです。だからデラックス版にはエビ天がのっています(写真はレギュラー)。
モイリイリにはまだまだたくさんの日系移民のレガシーが残されています。ディープな日系カルチャー散策に、ぜひ出かけてみてくださいね。