エントランスの自動扉が開くと、一瞬、2人とも足が止まった。直径50㎝はあろうかという太い杉の柱が道を作るように並び、まるで森に誘い込まれるよう。その柱の中央付近には輪島塗の椀を展示している。宿のコンセプトは“美術館に泊まる”。輪島出身の工芸家・角偉三郎の美術館を併設し、代表作の合鹿椀やへぎ板などが、館内のあちこちに配されている。ガラスケースで囲わず、ごく普通に調度品として置かれているものも多くあり、贅沢な気分を味わえる。
「加賀屋別邸 松乃碧」がオープンしたのは、2015年10月。和倉温泉では加賀屋グループの4つ目の施設で、プライベートな空間を大切にし、我が家のように自由に過ごせる宿を目指している。そのため宿泊者は大人のみ(中学生以上)。しかも北陸で初のインクルーシブ宿泊というシステムを導入。ロビーラウンジでのドリンクやスイーツ、客室の冷蔵庫、茶室の利用、食事の際のアルコールなどの飲み物、バーでの飲食などすべて料金に含まれているのだ。さらに、加賀屋グループの宿なら、名前と部屋番号を伝えれば買い物もOK。財布を持つ必要がない。
『松林図屏風』をモチーフにした中庭
ラウンジは開放感たっぷりの全面ガラス張り。窓の外には七尾湾を借景に松を配した中庭が広がる。その景色はまるで一幅の絵のよう…。それもそのはず、中庭は、七尾生まれの絵師・長谷川等伯の代表作で国宝『松林図屏風』をモチーフに造られたもの。景色はいつまで見ていても飽きることなく、これから始まる滞在に期待が高まってくる。
「当館では静かな時間を過ごしていただきたいので、仲居は客室にご案内した後は、部屋に極力入らないようにしています。食事は、料理を一品出ししています。その点が加賀屋と異なるところで、一品出しは当館ならではのサービスです」と話すのは、広報企画課の張原茂さん。
盛り付けにも器にもこだわった料理(イメージ)
食事は食事処でいただく。テーブルに着くと、北陸の銘酒3種の利き酒セットが用意されていた。この日は宗玄、加賀鳶山廃、立山。次に食前酒、先附けが運ばれてきた。先附けは、杉の膳に小さな器が2つ。1つには紅白の水引がかけられ、なんとも華やか。その後、鍋吸、刺身、八寸、メイン、口直し、煮物、そして食事は能登の烏賊めしと和倉郷土汁、デザートと続く。メインは2種から選べる。この日は能登牛、またノドグロだった。二人での宿泊なら、別々のものを選んでシェアするのもいいだろう。
食材は地のものにこだわり、加賀野菜や能登アワビ、ノドグロなど輪島で獲れる魚介類を豊富に取り入れている。治部煮や蓮蒸しなど金沢の郷土料理も楽しめる。料理は一品一品、絶妙のタイミングで運ばれてくる。竹籠の中に入っていたり、笛や太鼓をモチーフにした器を使ったりと趣向を凝らした演出に心が躍る。丁寧な仕事ぶりが伝わる料理にお腹も心も満たされた。
七尾湾を一望し、開放感たっぷりの露天風呂
温泉も忘れてはいけない。和倉温泉は北陸屈指の名湯で、約1200年の歴史を誇る。泉質は高張性の塩化物泉で、湯冷めしにくいのが特徴だ。大浴場は朝5時から入浴できるので、早起きして露天風呂へ向かった。湯船に体を沈めると、目線の先に穏やかな七尾湾、その向こうに能登島が見える。そろそろ朝日が昇る時間だ。この日は曇りだったので太陽は見られなかった。それでもうっすらと海面と空が桃色に染まっていく。淡く色づいた海を眺めながら、昨日からの時間を振り返ると自然と笑みがこぼれていた。
※料理内容は季節により異なります。