現地レポート
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2024年10月1日
- ペルー
- マチュピチュ
- 野内さん
森川 由香里
一度は行ってみたい!!見てみたい!!!人気の南米
旅行期間:2024年9月18日~2024年9月25日
9年振りのペルー
人気のマチュピチュ観光は今年からルート指定
コロナ過後、初ペルーに行きました。記憶と記録を辿ってみたところ何と9年振りに訪れました。
ペルーの首都リマから飛行機で1時間、インカ帝国の首都クスコに移動します。標高差が3000M以上あるので皆様高山病の心配をされていましたが、深呼吸を定期的に行う事でかなり軽減致しました。
マチュピチュ村やオリャンタイタンボ駅等はかなりインフラ整備が進みお店も増えお手洗いも綺麗になりとても便利になりました。
その反面、アンデスの山々やウルバンバ川、マチュピチュやワイナピチュの峰、インカ道は以前のまま変わらずに美しい姿でした。
いよいよ待ちに待ったマチュピチュ遺跡です!ここはクスコよりやや標高低く、それでも2280Mあります。
そして以前から唯一変わった事が今年の6月から完全予約制、指定された時間の1時間以内に入場しなければならず、しかも入場チケットにはご本人様のお名前・パスポート番号が明記され入口でお1人、お1人のチェックがあります。
しかも9ルート決まった方向にしか歩けないようなシステムになりました。「2」のルートでは人気のワイナピチュを見渡せる見晴台へのアクセスが可能です。ここでは係員がしっかりと監視して違うルートから勝手に侵入出来ないようなシステムです。
見晴らし台を出る時にホルダーは係員が回収します。
コロナ過には観光客が歩きやすいよう手すりが完備されていました。
このように手すりがあるので安心して見晴台まで登って行きます。頑張って登った人だけが楽しめるマチュピチュ遺跡とワイナピチュのお約束の景色です。
マチュピチュ村初代村長さんは何と日本人でした!!!
そもそもペルーを侵略したスペイン軍も長い間、その存在に気づくことが出来ないほどの山奥に築かれたインカ帝国の都市マチュピチュ。
1911年にアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムによって発見され、このインカの都市はようやく400年もの長い眠りから目覚め、一気に南米1の観光地になりました。
村からマチュピチュ遺跡入り口までも以前から同様の乗り合いバスでこの遺跡発見者の名前を付けた「ハイラムビンガムロード」を約30分走ります。
一躍、日本人にも人気の観光地になったマチュピチュ遺跡ですが、麓にあるマチュピチュ村の初代村長さんは日本人で「野内与吉」さんということはご存じでしょうか?
彼は福島県安達群大玉村出身で裕福な農家に生まれるも海外で成功したいという夢を抱き1917年に契約移民としてペルーに渡り、手先の器用だった与吉は何もないマチュピチュ村に川から水を引いて畑を作ったり、水力発電を作り村に電気をもたらせたりもしました。またクスコ⇔マチュピチュ区間の路線開拓や村人が住みやすいよう樹木を伐採したら温泉を発見したり労をいとわず村の為に尽くして住民に喜ばれました。
そんな彼の功績を称えて1948年にマチュピチュ村の初代村長に任命されました。現在でもマチュピチュ村の中心地アルマス広場にある役所の2階には野内さんの写真が飾られ彼の子孫達もマチュピチュ村に住みレストラン経営をしています。
日本人との深い関わりのあるマチュピチュへ皆様も是非、お尋ね下さい。
遺跡の人気者アルパカもノンストレスです。
添乗員おすすめツアー
この記事を書いた添乗員
- 添乗日数:約3500日
- 得意エリア:スペイン・英国
森川 由香里
趣味:ゴルフ・カラオケ(昭和歌謡)・BAR巡り
好きな海外の食べ物:パエリア・片口イワシのマリネ・チャコリ
百聞は一見にしかず、先ずは何でも見て聞いて、楽しんで!! 人生は1度切り、楽しい時間をご一緒に過ごしましょう。
- ※画像はすべてイメージです。
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遥かなる南米ペルー世界遺産紀行8日間「U-1901」
日本発着便は人気の全日空便利用。2連泊2回でペルーの見どころを満喫出来ます。