創業は明治6年(1873)、現存する日本最古のリゾートホテル。登録有形文化財の建築が、150年の歴史を今に伝えています。
1870年(明治3年)、東照宮の雅楽師を勤めていた金谷善一郎が日光を訪れたアメリカ宣教師兼医者、そして日本のヘボン式ローマ字綴りを考案した「J.C.ヘップベーン」(ヘボン博士)に自宅を宿として提供しました。
ヘボン博士の提言を受け、1873年(明治6年)、自宅を改装し四軒町(現在の本町)に「金谷カテッジイン」を外国人専用の宿として開業しました。
1878年(明治11年)に、英国人旅行家イザベラ・バード女史がつづった「日本奥地紀行」や、当時の在日英字新聞などで紹介され、「金谷カッテージ・イン」は「日本のリゾート避暑地=日光」のホテルとしての地位を確実なものとし、1893年(明治26年)に、日光山内をのぞむ現在地に、2階建て洋室30室の「金谷ホテル」として営業を開始しました。
1922年(大正11年)の英国皇太子殿下のご宿泊をかわきりに、外国王室、国内宮家のご宿泊という栄を受けるようになり、リンドバーグやヘレンケラー、アインシュタイン、池波正太郎、渋沢栄一など国内外を問わず多くの著名人にご宿泊いただきました。
明治から、大正、昭和、平成、そして令和まで、時代と共に歩んできた日光金谷ホテルは日本の建築美に西洋の家具や備品がとけ込み開業当時の趣を色濃く残しながら、今もなお時を刻み続けています
1870年(明治3年)、東照宮の雅楽師を勤めていた金谷善一郎が日光を訪れたアメリカ宣教師兼医者、そして日本のヘボン式ローマ字綴りを考案した「J.C.ヘップベーン」(ヘボン博士)に自宅を宿として提供しました。
ヘボン博士の提言を受け、1873年(明治6年)、自宅を改装し四軒町(現在の本町)に「金谷カテッジイン」を外国人専用の宿として開業しました。
1878年(明治11年)に、英国人旅行家イザベラ・バード女史がつづった「日本奥地紀行」や、当時の在日英字新聞などで紹介され、「金谷カッテージ・イン」は「日本のリゾート避暑地=日光」のホテルとしての地位を確実なものとし、1893年(明治26年)に、日光山内をのぞむ現在地に、2階建て洋室30室の「金谷ホテル」として営業を開始しました。
1922年(大正11年)の英国皇太子殿下のご宿泊をかわきりに、外国王室、国内宮家のご宿泊という栄を受けるようになり、リンドバーグやヘレンケラー、アインシュタイン、池波正太郎、渋沢栄一など国内外を問わず多くの著名人にご宿泊いただきました。
明治から、大正、昭和、平成、そして令和まで、時代と共に歩んできた日光金谷ホテルは日本の建築美に西洋の家具や備品がとけ込み開業当時の趣を色濃く残しながら、今もなお時を刻み続けています