タイのバンコクから日帰り観光!
アユタヤの日本人町と世界遺産(2024年最新版)
かつて東南アジア各地に、日本人町が開かれていたのをご存じでしょうか。鎖国に入る前、日本人は朱印船と呼ばれる交易船で大洋を自在に行き来し、海外に進出していました。日本人町が造られた都市では、ルソン(フィリピン)、ダナンやホイアン(ベトナム)などがよく知られているところですが、実はアジア最大の日本人町はタイのアユタヤにありました。最盛期には1500人とも5000人とも言われる日本人が居住し、活発な交易活動を繰り広げていたのです。
そのアユタヤで特に知られているのが山田長政です。アユタヤと日本との深いつながりについてJTB現地スタッフがご案内いたします。
★★日本語ガイドの付いた、JTBのオプショナルツアーがあります!★★
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オプショナルツアー(現地発着)JPY13,361〜【期間限定】遺跡だけではなく博物館にも訪れ、アユタヤの歴史を学びましょう!
定番なコースじゃ物足りない!もっとアユタヤ時代の王様と歴史について知りたい方にお勧めです。
”木の根で覆われた仏頭”が有名な「マハタート寺院」や、すぐ北にある「ラチャブラナ寺院」などにご案内します。
ラチャブラナ寺院は、1424年にアユタヤ王朝の王「サームプラヤー(ボーロマラーチャーティラート2世)」が王位継承争いで亡くなった兄たちのために創設したお寺で、アユタヤ時代の最大かつ最古の寺院の 1 つです。
トウモロコシ型の仏塔がシンボルとなっています。
塔堂内には、地下3階までアユタヤ時代の王族の宝物類が保管されています。
1958年のラチャブラナ寺院の修復の時、多くの宝物類が発掘され、現在は「チャオ・サン・プラヤー国立博物館」に展示されています。
※こちらのプランは象乗り体験は含まれておりません。
ご希望の場合は、当日担当ガイドへ相談ください。
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オプショナルツアー(現地発着)JPY9,913〜1名参加の場合 1名あたり19,826円
2名以上参加の場合 1名あたり9,913円タイ観光で外せない世界遺産アユタヤの寺院観光と象乗り体験(約10分)をお楽しみいただけます。14世紀半ばから18世紀半ばまで約400年間、アユタヤ王朝の都として栄えた都市アユタヤ。テレビや雑誌でもよく紹介される世界遺産遺跡群として有名です。その主要名所を効率よく観光するツアーです。午前出発か午後出発をお客様のご都合に合わせてお選びいただけます。※象乗り体験は1頭の象に最大2名です。※象に乗らない場合でも返金はございませんので予めご了承ください。
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オプショナルツアー(現地発着)JPY15,085〜料金に含まれるサービス:車代、ドライバー代、日本語ガイド代、入場代、夕食代※夕食時のドリンク代は含まれておりません。メンテナンスにより一時中止となっていた世界遺産アユタヤ遺跡のライトアップが復活しました!夜に輝く幻想的なアユタヤ寺院をご覧いただけます。
夕食と象乗り体験が含まれます。
※18時以降ライトアップが始まります。
※アユタヤ名物の「ロティーサイマイ」も試食しましょう。
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オプショナルツアー(現地発着)JPY21,550〜※1台あたりの料金
**時間外利用の場合(7:00-22:00以外)、 現地にて追加料金を頂戴致します。ご利用時間内のプランをご選択ください。空港~アユタヤ、パタヤ間の専用送迎プランです。
お客様のフライト時間に合わせ送迎をご用意致します。
山田長政と日本人町
日本が鎖国をする前、朱印船貿易によって海外と活発に交易していた1600年代初頭、アユタヤには日本人町が開かれており、駿府の国(現在の静岡県)で沼津の領主に仕えていた山田長政も朱印船に乗り込みアユタヤを訪れます。
戦国時代の国を二分するような戦いを潜り抜けてきた山田長政は戦術にたけており、アユタヤの日本人傭兵部隊の隊長としてたちまち頭角を現しアユタヤの宿敵ビルマとの戦いで功績を上げます。
宮廷の信頼を得た長政とその傭兵部隊はやがて王の護衛兵まで務めるようになり、王朝内で力を得ていきます。しかし王の死後、後継者を巡る熾烈な闘争に巻き込まれてしまいます。
後にアユタヤの後継王となるプラサートトーンは長政が遠征で都を離れたすきに、拠点であった日本人町を襲撃。町は破壊され炎上し、住民であった日本人は散り散りになって南方のカンボジアへと逃げました。一方、長政も遠征の地で毒殺されたと言われています。
その後少しずつ日本人が戻り町を再建させようとしますが、すでにかつての勢いはなく、江戸幕府が鎖国政策へ傾斜していくにつれ、次第に忘れられていくようになりました。
100万人を超えるアジア屈指の都
1350年に開かれたアユタヤ王朝はチャオプラヤー川の水の利を活かしてさまざまな物資を集め、中国、フィリピン、インドネシアとインドとを結ぶ一大海運国家を築きました。最盛期の16世紀には王都は2000の寺院を抱え100万人が住む世界でも指折りの大都市となっていました。
その頃、欧米列強は大航海時代を迎えており、ポルトガルに始まりオランダ、イギリス、フランスなどが次々とアユタヤに居留地を開きます。この地を訪れた欧米の人々は、王都のあまりの大きさと、ふんだんに金を用いて光り輝く美しさに思わず息を呑みアユタヤを「黄金の都」と称えました。
このように隆盛を極めたアユタヤですが、北方ではランナー王国が度々攻め入り16世紀にはそれに代わって台頭したビルマが何度も侵略し、国力は徐々に衰退。1767年ビルマの執拗な攻撃に王国はついに滅亡したのでした。ビルマは陥落したアユタヤを徹底的に破壊し、その富の大半を略奪したそうです。
現在残っている遺跡はビルマによって廃墟となった遺跡を修復したものですが、中には首のない仏像や土台しか残っていない仏塔(チェディ)などビルマの徹底した破壊ぶりを垣間見ることもできます。日本人町はもちろん、かつてはいくつもの外国人居留区が築かれた地域もほとんどが破壊され今はその痕跡をかすかに感じるのみです。
日帰りも可能な世界遺産
アユタヤはバンコクからチャオプラヤー川を北に遡って約90km、バスで行っても1時間半程度と日帰りも十分可能な古都です。
かつては王の守護寺院として黄金に覆われた仏像が建造されたとされる「ワット・プラ・シー・サンペット」は現在は3人の王の遺骨を守る3基のチェディ(仏塔)が残るのみです。
一方14世紀に建立されたもっとも歴史ある寺院の一つ「ワット・マハータート」では、ビルマ軍の破壊で放置された仏像の頭に巨木の根がからまり、なんとも形容しがたい神秘的な光景を見られます。
初代ウートン王が留学から帰った若僧たちのために建立した「ワット・ヤイ・チャイモンコン」。 16世紀中頃にアユタヤは一度はビルマの属国となるのですが、その後再び独立を果たしアユタヤ朝をさらなる繁栄に導いたのが名王ナレースワン王。彼はこの寺院に72mもの巨大な仏塔を建立し、その周囲には多数の坐仏像を配しました。アユタヤ朝を再興した喜びが感じられる寺院です。
東南アジアに一大王国を築いたアユタヤとそこでさまざまな活躍をした日本人。
ぜひ一度日本人町に足を運ばれれてみてはいかがでしょうか。冒頭で紹介しているJTBの現地発ツアーでは、日本人町跡地などもじっくり回ります。ぜひご検討ください!