自然消滅した古代都市『オスティア・アンティーカ』
ローマから電車で約30分、地下鉄バス共通チケット€1.50で行ける巨大遺跡
オスティア・アンティーカ(Ostia Antica)は、ローマを流れるテヴェレ川の河口近くにある広大な考古学遺跡です。
「ヴェスヴィオ山の噴火で一夜にして灰に埋まったために、生々しい古代の生活感を現代まで伝えてくれるポンペイ遺跡」と比べるとドラマ性に欠けるせいか、知名度はやや低いものの、規模はポンペイ以上、保存状態もよく見応えも決してポンペイに劣りません。
何よりローマからお手軽トリップで、古代ローマ時代にタイムスリップができます!
ローマの栄枯盛衰に寄り添う歴史
町の起源は、神話によると紀元前7世紀、確認された記録上では紀元前4世紀初頭、防衛拠点として堅固な城壁が造られたときにさかのぼります。
ローマが地中海の覇権を握ると、オスティアはローマ初の植民地として軍事から物流・商業の拠点へ移り変わり、二世紀頃、ハドリアヌス帝の時代には、神殿、劇場、公衆浴場、公衆トイレ、役所、物流倉庫、商店、飲食店などの都市機能をすべて備えた大都会に発展します。
春から夏は咲き乱れる野の花も楽しめる、ツワモノどもが夢の跡
しかし河川の堆積土で港が機能しなくなり、テヴェレ川の流れも変わって、オスティアは徐々にさびれていきます。
活気を失っても地元の富裕層は住み続けていたようですが、人口減少は止まらず、サラセン人が襲撃してくる9世紀頃には人々が逃げ出して街は放棄され、ついに廃墟に。
盛者必衰の理を表す素敵な考古学エリア
戦争で破壊されたとか、噴火で埋まったとか、一夜にして海底に沈んだとか、住民が忽然といなくなったなどのドラマ性もミステリー性もなく、次第に衰退して街ごと放棄された経緯はそれなりに侘しいものです。
しかし現在はよく整備された遺跡博物館として、緑豊かで人が少ない絶好の遠足地となっています。