インド デリーの今を知る、おすすめ観光地もご案内
JTBインディア スタッフ
人口2100万人を超えるインドの首都・デリーは、今世界でも最も活気溢れている都市の一つ。世界第2位の人口(12億人超)を抱えるこの国の政治経済の中枢を担っています。
そんなデリーですが、観光と聞くと、何を見るのかどうもピンと来ない・・・なんてイメージ、ありませんか?今回は、大国インドの首都、デリーの魅力を一挙に紹介しましょう!
デリーに「オールド」と「ニュー」がある理由
インド北部に位置するデリーは、遥か昔から中央アジアと南アジアとを結ぶ交通の要衝で、多くの王国が都を築いてきました。
特に16世紀のムガール帝国時代には、王が代わる度にデリーとアグラで遷都を繰り返し、1648年に王シャージャハーンによって再びデリーが首都となり街は再建されます。現在デリー圏は大きく分けて「オールドデリー」「ニューデリー」「デリー郊外」に分けられますが、このオールドデリーがまさに、シャージャハーンが再建した街なのでした。
その後もデリーとアグラとの間で遷都は続きますが、やがて都はデリーに定まっていきます。ムガール帝国は次第に衰退し1857年に滅亡。デリーは一地方都市となってしまいます。
現在のような大都市へと発展するきっかけはイギリスでした。1600年に東インド会社を設立して以降インドでの植民地支配を強めていたイギリスが、1911年にインド東端のコルカタからデリーに首都を移すことを決めます。そして首都機能を集約するためにデリーの南側に、「ニューデリー」地区を建設したのです。
今でもニューデリーは大統領府や各種官庁や大使館などが集まり、整然と都市計画された中で官僚などが多く住む街、一方のオールドデリーは庶民が多く住んで生活感に溢れ、ごちゃごちゃと入り組んで活気と喧噪ある街、という具合に、街の性質も雰囲気もだいぶ違います。実際にどちらも訪れてみると、その違いを肌で感じられることでしょう。
夏は暑く!冬は寒く!
インドと聞くと、なんだか1年中すごく暑そう・・・というイメージをつい持ってしまいますが、デリーはインドの中でも北に位置しているので四季はあります。
春は3~4月。春というよりは乾季の夏、という感じですが気温は最高35℃程度。空気が乾燥しているのでカラっとした暑さです。
5~6月頃は夏、そして気温は40℃以上になります。つい先日デリーでは観測史上最高の47.8℃(2014年6月7日)を記録したというニュースもありました。この時期は、本当に暑いです。7~10月には雨季を迎えます。気温は40℃に届かない程度ですが、雨がよく降り蒸し暑くなります。
10月の中旬頃には雨季が終わり、11~2月頃は乾季の冬が訪れます。気温も湿度もぐっと低くなります。最高気温は20℃を超えることが多いのですが、12~1月には最低気温は7~8℃くらいにまで下がり、コートやセーターが必要になるほどです。
歴史ある街デリーは見どころも満載
広いデリーを考える時には、コンノートプレイス(CP)を中心に考えると、街をとらえやすくなります。賑やかな繁華街であるCPの周辺と北側にオールドデリーが広がっています。
一方、CPを三角形の頂点(北側)ととらえると、△の底辺右端(東端)がインド門、左端(西端)が大統領官邸、底辺に当たる大通りがラージパト大通り、となっています。この三角形とその下(南側)がいわゆるニューデリーです。ではインド門から観光と参りましょう!
<ニューデリーとその郊外>
インド門(India Gate)
高さ42m。第1次世界大戦で戦死したインド兵士1万3500名の名前が刻まれています。インド門から大統領官邸へとまっすぐ延びるラージパト大通りは、いわゆる官庁街です。広い通りの両端には、各種官庁や国会議事堂などが並びます。
大統領官邸(Presidential Mansion)
インドでは首相が国政を指揮しますので、大統領は各国の公式行事などに参加する名誉ある職。国を代表する立場と言えるでしょう。この大統領が住んでいるのがここです。立派な門の向こうに官邸とおぼしき建物が見えます。門を背にラージパト大通りを眺めますと、はるか遠くにインド門が見えます。
国立博物館(National Museum)
ラージパト大通り沿い、インド門と大統領官邸の間に国立博物館があります。インダス文明の時代から近世に至るまで、20万点を超える収蔵品の中から随時入れ替えながら公開され、大変見ごたえがあります。インダス文明時代の遺跡や紀元前の仏教遺跡、仏像などのほか、ヒンドゥー教に関連した神像などは、ファンでなくても思わずため息が出るような素晴らしさです。
開館時間:10:00am~5:00pm
電話:011- 23792775
HP(英語):https://www.nationalmuseumindia.gov.in/
フマユーン廟(Humayun's Tomb)
ニューデリー南西のヤムナー川沿いにあります。ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの墓で、1565年建てられました。インドでは初めてのペルシャ系イスラム建築様式の建物でした。後の「タージマハル」建造に影響を与えたと言われています。白大理石と赤砂岩のコントラストが大変美しく、四方のどこから見ても同じ形に見えるように設計されています。 1993年には世界遺産に登録されました。
クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)
ニューデリー南郊外約15kmにあるミナレット(イスラム教寺院の塔)。12世紀末にインドに進出したトルコ系軍人アイバクが建造した高さ72.5mの塔です。アイバクは、インドで初のイスラム王朝を築いた王です。塔には、コーランの章句が見事なアラビア文字で刻まれています。本来は礼拝の呼びかけをするための塔ですが、彼は戦勝記念塔として建て、イスラムの力を誇示しました。
しかし、もともとあったヒンドゥー教寺院を壊してその建材を利用して作った急造のものだったため、モスク回廊の列柱はデザインがバラバラで、しかもよく見ると、ヒンドゥーの神様が彫られたままになっていたりしています。塔のそばにはインドで初のモスクが建てられ、それら建築物とともに世界遺産に指定されています。
ビルラー寺院(Birla Mandir)
コンノートプレイスの西2kmほどにある寺院。1932年にインド有数の財閥ビルラー家が建てたヒンドゥー教の寺院です。正式名はラクシュミー・ナーラーヤン寺院といいますが、愛称のビルラー寺院の方が今では知られています。極彩色のオリッサ様式で、中心に鎮座するのは寺名の由来であるナーラーヤン(ヴィシュヌ神)とその妃ラクシュミー女神。シヴァやブッダも祀られており、ヒンドゥー教徒に限らず門戸を開いています。
<オールドデリーとその周辺>
ラージガート(Raj Ghat)
コンノートプレイスの東に位置するヤムナー川そばにあります。1948年、マハトマ・ガンディーがヒンドゥー至上主義者に暗殺された後、荼毘に付された場所です。火葬された場所にはガンディーの最期の言葉「ヘイ・ラーム(おお、神よ)」が刻まれた黒大理石の慰霊碑が建てられています。遺灰はインド各地の河に流されたため、このガートには残っていません。 ガンディーを偲ぶ参拝者が今も絶えません。
ラールキラー(レッドフォート)(Lal Qila/Red Fort)
コンノートプレイスの北東に位置するムガール帝国の城。デリーに都を定めてオールドデリーの街を築いたシャージャハーンの居城です。レッドフォートと呼ばれるように、赤砂岩による建造物で、まさに「赤い城」です。こちらは世界文化遺産にも指定されています!
デリーは「ニュー」も「オールド」も見どころがたくさんあります。インドの風物詩の一つでもあるオートリキシャーに乗って、これらを回ってみませんか?
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