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大地の芸術祭〜越後妻有アートトリエンナーレ
「車座おにぎり」で、笑顔といのちにつながる旅

小高 朋子
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■ボランティアをして初めてわかった「おもてなしの心」
(イメージ) 私が初めてこの地に足を踏み入れたのは5月のこと。いくつものトンネルを抜けると、薄靄がかかる美しい木々の緑に包まれる。北陸の少し遅い春を象徴する桜も見事だ。だが、私が目を奪われたのは、家々の軒先に咲く花々。どこを見ても、色とりどりの花が目に飛び込んでくる。ここに住む人たちは道に面した敷地に花を植える。豪雪地帯であるこの地では、隣地の境界に塀を建てられないため、囲いの意味で花を植えたそうだ。仏壇に供える花を切らさないという意味もあるらしい。とにかく花を植えることが大好きな人たちなのだ。見知らぬ私たちまで楽しませようと、どの花もこちらを向いている。「車座おにぎり」で感激した「おもてなしの精神」は、初めて訪ねた時の「道々の花の美しさ」にもあらわれていたことに、今になって気付く。お母さんたちは、お客さんたちの質問に嬉しそうにひとつひとつ答えてくれる。

そして、おにぎりを美味しい美味しいと、ひっきりなしに口にする人たちを見て、いつしかニコニコ顔になる。『そんなに美味しいかぁ。それは良かった。水が違うからね〜』「美味しいって幸せですね〜。本当に何より一番幸せなことですよ。私、食べる事大好きなんです!」「この辺りは良いところですね。空気が気持ちいいし、何食べても美味しい!」私たちは心をこめて、感激を言葉にしてみる。『へ〜。そんなに幸せかい?あんたたち、変わってるね。面白いね〜。』お母さんたちは嬉しそうに笑う。ふと辺りを見渡す。青々とした緑の山に囲まれ、流れる水が美しい。この中山間地は平らな土地がなく、決して住みやすい土地ではなかったはずだ。それでも、この土地にやってきた人たちは、必死の思いで山を開き棚田をつくった。機械の入らない田んぼで美味しいお米を作り、自らの手で安住の地を作り上げたのだ。お母さんたちは、口には出さないが、自分たちの住むこの土地に誇りと自信を持っている。

■「おもてなし」と「おかえし」で心が通う。笑顔がこぼれる。
たくさんあった“おにぎり”も無くなり始め、ここから、いよいよ「車座おにぎり」の後半戦。客人による、お母さんたちへの“おかえし”の時間となる。心づくしのおもてなしを受けて、お腹も心も満たされて「いっぱい」だ。“おもてなし”を受けたら何か“おかえし”をしたいと思うのが日本人。誰だって、こんな温かなおもてなしを受けたら何かしたくなる。“おかえし”に特別なルールはない。自分なりの方法で感謝を表現することだけ。だから、唄を歌う人、似顔絵を描く人、地元のお野菜をたくさん買って喜ばれる人、心付けをおいていく人、方法はそれぞれだ。「すみません。お湯を沸かしてもらってもいいですか?」ある子連れのご夫婦から声をかけられた。理由を伺うと、「もしよろしければ、おかえしにお茶を点てたいのです。」両親が心を込めて点ててくれた茶碗を、まだ5歳くらいの男の子がていねいに置く。しっかりと深い感謝のお辞儀も忘れない。おそらく、両親の作法を見よう見まねで覚えたのだろう。さっきまで、ほっぺたにご飯粒をつけておにぎりを頬張っていた、かわいらしくて無邪気な子が、ありがとうの気持ちを精一杯に表現している。驚き、そして嬉しくなった。そのお茶は、おにぎりとはまたひと味違う優しさにあふれていた。いつから、身近な存在だった“作る人”が遠い存在になってしまったのだろう。お米を作る人、おにぎりを握る人、お茶を点てる人…作り手が愛情込めたものには、ぬくもりを感じる。私は、作り手の顔を思い浮かべ、その想いを大切にして味わいたいと思う。

■「車座おにぎり」に失敗はない
私が「車座おにぎり」で驚いたことは、もうひとつある。それは今年のこのイベントを、二十代前半の女性がほぼひとりで運営していたことだ。集落のお母さんたちへの挨拶まわりや、イベントの趣旨の説明、開催準備から当日の運営まで、何もかも彼女がひとりで行っていた。「車座おにぎり」は、ただアート作品を野外に置けば終わるものではない。集落の人たちが関わり、心を一つにして協働するイベントだ。それを、部外者の若い女性ひとりで行うのは、相当な不安や苦労があったに違いない。それでも、彼女はいつも楽しそうだった。「今日はどうだった?うまくいった?」みんなの質問に、彼女がこう答えたのが印象的だった。「このイベントに失敗はないんですよ。だって正解はないんですから。」全国から集まった接点のなかった人たちが、大地の上でどかっと「車座」になって出会い、一緒に「おにぎり」をほおばる。そんな簡単なことで、お互いを一瞬にして理解でき、心が通うこともあるのだ。会話を交わして、笑顔を浮かべ合う。大自然の恵みやお互いの真心を少しずつ分かち合う。どこにいても誰とでも情報共有ができる。そんな時代だからこそ、実際の出会いや、本当のコミュニケーションが大切だ。元気な笑顔や言葉にあふれた幸せなひとときを、「車座のおにぎり」は思い出させてくれた。言葉にできない「生きる喜び」を気付かせてくれた。

■出会うことつながることで棚田が残る。お祭りの伝統が守られる。
(イメージ) ある夜、私たちボランティアスタッフの宿舎に嬉しいニュースが飛び込んで来た。芸術祭で集落の方々にお世話になる私たちは、土地のことを深く知るために、地元のお祭りなどにもできる限り参加する。過疎化が進んだ集落では、先祖代々受けつがれてきたお祭りを維持することも大変なのだ。後から知ったことだが、今年いっぱいでお祭りをやめようとしていた集落があった。その集落に、大地の芸術祭のボランティアたちが参加して大いに盛り上がった。そのおかげで、お祭りを来年も続ける決意をしてくれたと報告があった。いっせいに拍手が巻き起こり、私は泣きそうになった。たった一度の出会いが人生を変えることすらある。「誰かのために何かをしたい」という漠然とした想いが、「あの村人の笑顔のために何ができるか」という具体的な目標に変わる。それは驚くほど単純で素直な感情だ。地域と人とのつながりを育むヒントは、きっとここにある。ひとり一人の「おもてなし」と「おかえし」を繰り返す心の連鎖が「豊かな交流体験」につながっていく。それならまず私が、そのひとりになろう。またこの土地に必ず来よう。

あの笑顔に出会うために。笑顔を伝えるために。


評価のポイント

3年に1回開催される「大地の芸術祭」。地元のお母さんたちが作ったおにぎりをアート見学者にふるまう「車座おにぎり」の運営ボランティアとして参加した。お母さんの心づくしのおにぎりや、お返しをする親子の姿に「おもてなし」の心の交流を見る。外の人を迎えることは簡単ではないが、5回の芸術祭を通して地域と心が一つになっていることもわかり、改めて旅の力が感じられた。


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※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。