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トップ > JTB地域交流トップ > JTB交流創造賞 > 受賞作品 > 交流文化体験賞 一般部門 > モザンビークの空に浮かんだシャボン玉
いよいよ当日となり、ナンプラ州立孤児院の門をくぐると、弟のそっくりさんが突如現れたことに驚いた子供達が駆け寄ってきた。孤児院という響きから想像していたよりもはるかに明るい雰囲気の中、元気溢れる子供達に迎えられたことで、今日の実験がますます楽しみになった。子供達が教室で授業を受けている間につるべ井戸で水を汲み、持参した洗剤とグリセリンを調合する。 授業の後には外での鬼ごっこがあり、それも終わっていよいよシャボン玉の時間となったときの様子は冒頭に述べたとおりである。自分が見本をやり終えると、子供たちが一人一人試してみる番となった。うまくいくか不安がる自分の前で、次から次へとシャボン玉が出来ていく。彼らは無邪気にハンガーを振り回す分、かえって大きなシャボン玉が出来やすいのかもしれない。自分が知っている数少ないポルトガル語である“Grande!”と言って褒めてあげると、子供達は満面の笑みを浮かべて得意気だ。 このようにハンガーを使ってシャボン玉ができることが分かると、彼らは自発的に別の方法を試し始めた。というのもハンガーは一つしかないので、自分の番が回ってくるまで待たねばならないからだ。そんな中、ある子供が手に付いたシャボン液が膜を張っているのに気付き、それを吹くことでシャボン玉を作ることに成功した。こうなるとハンガーの順番待ちなんぞ関係ない。次々と皆、手でシャボン玉を作り始めた。親指と人差し指で輪を作ってみたり、両手の小指の間にシャボン膜を張ったりとそれぞれが個性を発揮している。 更に驚いたことには、ある子供が中空になっている植物の茎をどこからか見つけてきて、ストロー代わりにしてシャボン玉を作ったことだった。周りにある素材をうまく工夫して使ったアイディアは見事であり、自然のストローを吹く彼の顔は誇らしげだった。その後も子供たちは色々な方法を試すことに夢中になった。ハンガーを桶に浸すことの欠点は、持ち上げる際に膜が張ったり張らなかったりすると確率的なことだが、シャボン液に浸す代わりに、直接手で液をハンガーに塗りつけることで、膜がいつも張るようにできることに気付いた子供もいた。シャボン玉の時間もとうとう終わりとなり、桶のシャボン液を捨てることとなったが、最後に桶に残った泡を用いてシャボン玉を作ろうと粘った子供もいた。しかし残った泡だけでは出来ず、シャボン玉を作るには液が必要であることを実感したようだった。
このように単純な科学実験ではあったが、子供たちが見せた高い集中力には目を見張った。また弟から、孤児院に入ってから初めの数ヶ月間何もしゃべらなかった子も今回の実験に熱中していたことを後に聞き知り、思わぬシャボン玉の効用に目頭が熱くなった。このように子供達が自然に興味を持てる題材を提供することができれば、彼らの無限の可能性をうまく引き出せることが分かったのは大いなる収穫だった。 科学の本質とは、様々に条件を変えた実験を行い、自然現象の背後に潜む基本法則を抽出することである。したがって、創意工夫をこらし、シャボン玉が出来るために必要な条件を自ら試行錯誤で探り当てていくことは科学活動そのものであると言える。物に恵まれないモザンビークの子供達の中にも立派に科学する心があった。いやむしろ物が思うように手に入らないからこそ、身の回りにある物を最大限に有効活用していく精神が育まれるのだろう。逆に試験でヒョウメンチョウリョクと答えさせたり、トリガーを引くと電動式ファンが回り、次々とシャボン玉が製造されるおもちゃを与えることで、かえってシャボン玉の本質を見えにくくしてしまうこともあるのかもしれない。子供達に科学を教えに行くはずが、逆に彼らから多くの事を学んだ一日であった。 ここモザンビークでは子供達を取り巻く状況は厳しい。孤児院を無事卒業できたあとも多くの家事手伝い、物売りの仕事が待っている。そのように辛いことが将来あったとしても、ある昼下りにシャボン玉を空に浮かべて、科学に熱中したときに見せた輝きと創造性を失わずに社会へと漕ぎいでてもらう事ができれば、今回の実験は大成功だ。
モザンビークの孤児院への訪問。ボランティアや寄付に支えられているが、『物を持ってくるよりも子供達を喜 ばせてあげて欲しい』との言葉に、自ら科学者の立場でシャボン玉という変哲のない遊びを子供達に与えた。 そこで子供達が遊びの中から工夫や発見を見出す姿に、科学する心を逆に学ばされた筆者の旅であった。