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ペッチョリ滞在記
久保 智子
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ペッチョリ滞在記の写真  私が初めてペッチョリ(Peccioli)という街の名前を知ったのは昨年夏のことである。なんとも可愛らしい名前をもつこの街から12日間の招待を受けたのだ。ペッチョリはイタリア・トスカーナ州にある人口5,000人ほどの街で、残念ながら日本のガイドブックには登場しない。そのためインターネットを介してしか知ることのできないその街は、周囲を緑に囲まれ、私の目にはとても小さな街に映った。今回私が招待された理由は、ベルベデーレという会社が行っている「街おこし事業」を日本の人に見てもらうためであった。ベルベデーレの社長であるM氏が、以前日本にその「街おこし事業」を紹介しに来たことがきっかけでこの話が舞い込んだのだ。もともとイタリアの街に興味を持っていた私は、これがイタリアの一つの街に深く入り込み、その街の歴史や現在の生活を知ることができる絶好の機会であると思い、ペッチョリ行きを決意したのである。とは言っても、イタリア語も十分に話せないし、滞在中のプログラムもわからない。そんな不安を抱きながら、日本土産を詰めたスーツケースを抱えイタリアへと旅立ったのである。
 ピサ駅に到着し電車から降りると、招待してくれたベルベデーレの社員、R氏が私の名前を書いたカードを持って迎えてくれた。手持ち鞄一つで日本から現れた私を見て、「鞄一つで日本から来たのか?」と笑いながら挨拶してくれた。もちろん日本土産を詰め込んだスーツケースと成田までは一緒だったのだが、スーツケースはイタリアに到着せず、ロストバゲージしてしまったのである。初対面の緊張感や長旅の疲れで、ぎこちない会話の中、車に乗りひまわり畑を走ること30分、丘の上にあるペッチョリに到着した。まず彼はロストバゲージしてしまった私を、洋服や日用品を売っているお店に案内してくれた。そのお店の人に洋服を見立ててもらうよう頼んでくれ、店を出る頃には、すっかりペッチョリ仕様になった気分だった。その後、ベルベデーレ社員行き付けのバール(喫茶店)やレストランの店員に私を紹介して歩いてくれた。街を歩いても、どの店に入っても、挨拶が飛び交うイタリアの小さな街をとても心地よく感じた。

 滞在中私は、働き者のマリアおばあさんが経営するアグリツーリズモ(農場滞在型観光)の施設にお世話になった。アグリツーリズモとは、農業を営む家族の家に滞在することであり、その農家で生産された食物が食事として提供される。言わば、味覚や視覚など感覚全てで大自然を楽しむ観光であり、他国の観光客にも人気である。イタリアでは1985年に農家を保護する目的でアグリツーリズモ法が制定されている。私が滞在したマリアおばあさんの家は23年前から営業しており、ペッチョリの中で最も古いものだという。18世紀頃の建物を改築し、かつて倉庫だったところに宿泊用の部屋が3つ設けられている。朝食には、マリアおばあさんお手製の、農場で収穫した桃のジャム、パンとコーヒーが出た。
 毎朝、私が朝食を終える頃、R氏は車で私を向かえに来てくれた。ベルベデーレのオフィスに着くまで、日本やイタリアのことについて話すようになっていた。
 R氏から「日本人は毎日お寿司を食べているの?」「東京の街には電車の路線は何本あるの?」と言った質問から、「なぜ日本人は日焼けを嫌って美白するの?」といった普段考えたこともない質問が飛び出した。朝から頭をフル回転させ、たどたどしいイタリア語で私の意見を話していた。オフィスでは午前10時になるとコーヒータイムが始まる。みんなエスプレッソ片手に、昨晩何の映画を見ただの、これから始まるバカンスの話に盛り上がる。そんな生活習慣の違いを目の当たりにし、毎日が発見の連続でわくわくしていた。

 ベルベデーレは、1997年に当時のペッチョリ市長によって設立された会社で、現在は市長を退いた彼が社長をしている。主に、観光振興を行う会社であり、旧市街の貴族の建物を改修し美術館や考古学博物館などの整備を進めたり、イベントの企画運営を担ったりしている。また、農場でブドウを栽培し、ペッチョリ産のワインを製造し市場に出している。彼らは私にそれらの事業を案内してくれた。
 特に私の興味をそそったのは、街周辺の田園に点在する廃屋となった農家である。それらは、高度経済成長期に衰退し住人を失った農家である。ベルベデーレはこれらの農家を、アグリツーリズモに使用する施設へと改装し街の観光施設とすることを計画している。
 大型車に乗り込み、道なき道を進むと農家が現れる。屋根が落ちてしまった農家や床が落ちてしまいそうな農家、彼らはそれらを丁寧に説明して回ってくれた。途中、食べられる木苺を教えてくれ、それを草原の風に吹かれながら食べた。これから実現するだろうアグリツーリズモでの、心地良い滞在を想像できるかのようなひと時を過ごすことができた。田園部の最も高いところには今も教会が建っている。かつて農民達が信仰の中心とし、この地に賑わいを見せていたのだろう。


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※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。