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北の果てに続く道
高橋 史郎
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この夏 ダルトン・ハイウェイ
北の果てに続く道の写真  人間の時間を大雑把に分ければ、仕事の時間、休息の時間、余暇の時間、ここまでの三つは誰でも思いつくだろう。だが日本人の忘れがちなもう一つの時間が人間には必要だ。いってみればそれはスピリチュアルな時間。宗教を信じる人ならば神と向き合い祈りを捧げる時間だが、僕のような無宗教者にとってみれば、それは自然と対峙し瞑想(メディテーション)する時間だろう。うねるような起伏の上を感覚的には低速で、しかし実際は100キロを越える速度で車は進んでいく。刻々と色を変える雲と光の表情、ときどき自分の車が撥ねる小石の音が聞こえる以外は全くの静寂だ。対話の相手は自分しかいない、人間にとって欠くことのできないスピリチュアルな時間だ。
「もうかれこれ二、三百回はこの道をトラックで往復しただろうな。しばらく遠ざかってるとすぐにまた、無性にここに戻って来たくなるんだ。静寂(しじま)に満ちた道は何ものにも代えがたい心の薬(メンタル・メディシン)なんだ。」
 赤いトレーラーのドライバーが言った。この道とはダルトン・ハイウェイ。アラスカ内陸部の都市フェアバンクスから真っ直ぐに北へ約800キロ、プルドー・ベイの油田までパイプラインに沿って、北米大陸では唯一北極海に至る道だ。走り始めて220キロでユーコン川を渡り、300キロを越えたところで北極圏に突入。車はやがてこのハイウェイの中間地点コールドフットに到着する。
 フェアバンクスを出発して以来、一台の巨大な赤いトレーラーを一度追い越し、一時間ほどしてから抜き返された。お互い遠景にはその姿が何度か目に入っていたと思う。存在の希薄な旅の道連れだった。コールドフットではほぼ全ての車がガソリンを補給する。先に着いた赤いトレーラーでは、運転手が埃まみれになった運転席の窓に水をかけ、給油し、タイヤまわりを点検してまわっている。カーキ色のツナギの上半身をめくり、腰のあたりで結んでいる。中は赤いTシャツ、野球帽を目深にかぶっている。中肉中背よりはやや太めだが、腕には堅そうな筋肉が張りついている。今夜は運転席でクラシック音楽を聴きながら眠ると言う。

 今回は季節も夏、コールドフットに宿泊し、満を持して早朝出発で北極海まで行こうと思っていた。しかし、白夜の明りがカーテンから漏れて眠れず、結局明け方の3時まで読書をしていた。出発は昼頃になってしまった。コールドフットから100キロも進めば道はにわかに登りはじめ、あの秋はあきらめたアティガン・パスで分水嶺のブルックス山脈を越える。その後は北極海まで遥かなツンドラの平原を直線的に進むだけだ。
 よく締まった未舗装道を時速100キロ以上で走っていても、巨きな地形の中では停止しているような錯覚に襲われる。つかず離れずの旅の道連れはプルドー・ベイに至るパイプラインだ。そして道端のムースと遠景のカリブーが少し驚き、すぐにまた草を食む。時に雨が降り、そしてまた陽が差す。雨上がりにはいくつもの虹が架かり、遠く近くに無数の湖沼群がきらめく。いつ暮れるとも知れぬ白夜の下、まるで天国のような風景の中を僕の車は走って行く。
 遅い午後といえばいいのだろうか。それとも早い夜なのか。白夜の下では時間の感覚が麻痺しているが、荒涼とした北の地の果て、プルドー・ベイの油田にたどり着いた。気の遠くなるような距離を抜きつ抜かれつの旅の道連れだった赤いトレーラーが停まっている。
 知性には二つの種類がある。読書や情報の量に比例する知性と、思索や思考の絶対量に裏付けられた知性だ。アラスカのトラッカーの知性は後者による。ダルトン・ハイウェイは人を静謐な思索にいざなう。二、三百回もこの道を往復したドライバーにはその時間が十分にあっただろう。停車中の運転席から聞こえた声楽曲、それについて尋ねると穏やかに説明してくれる。
 「これか? マーラーの『リュッケルトの詩による5つの歌』だ。歌手はジャネット・ベイカー、指揮はバルビローリ。特にこれが好きだ。『私はこの世に忘れられた』という歌なんだ。この世で一番悲しい歌だと思うけれども、これほどこの道によく似合う歌もないよ。」



評価のポイント
北極海へ向けてアラスカを一人ドライブする旅行記。旅の途中での寡黙なトラックドライバーたちとの出会いを通じて、男の一人旅の奥深い魅力を描写している作品。

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※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。