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トップ > JTB地域交流トップ > JTB交流創造賞 > 受賞作品 > 交流文化体験賞 一般部門 > 私の韓国人疑似体験記
6月のとある昼下がり。 それは一本のショートメールから始まった。 差出人は親友の韓国人のお姉さんからで「料理大会に出るから来週末の予定は空けておいてね」という内容だった。 ここはソウル。私は半年の予定で語学留学に来ていた。 なぜ料理大会なのか、そしてなぜ私が行くのか、という説明はない。 国民性なのだろうか、私の周りにいる韓国人の友人にはこういう人達が多い。 無計画というか、すこし強引というか。 でも私はそのスタイルに慣れてしまっていたので、またいつものことかと思いながら「はい、いいですよ」と返信を打った。 しばらくして料理大会が近くなってきたある日。 またもや唐突にそのお姉さんからのメールを受信した。 「料理大会の練習をするから家に来て」。そのメールを見て私は料理の味見役かなんかが必要なのだろうと思い、軽い気持ちで彼女の家へ向かった。 そして私は今までの予想が大いにはずれていたことを悟る。 なんと私は味見役でもなく応援団でもない、料理大会の出場メンバーであった。料理の練習というのは、私の料理特訓だったのである。 自分は料理ができないから、と逃げようとする私に彼女が見せたのは料理のエントリーシート。 そこにはもう私の名前がすでに登録されていた。(しかもスぺルを間違えて) 相手に了承もなく計画を進行する強引さは、何とも韓国人らしい。 日本人であれば前もって連絡をしてきて、詳しく説明するとか「いつ時間があるか」と聞きそうなものだが、韓国人はたいてい自分が好きな時に電話をかけてきて、「今、時間あるか」と言ってくる。 以前、周りの韓国人に何度か言ってみたことがある。日本人同士は遊ぶ時であってもたいてい事前に約束をしたり、相手の都合を聞く。だからあなた達も日本人に連絡する時は少し配慮してみたらどうか、と。その時は皆一応、納得していたものの、誰一人、一度としてそれが実行された事はない。そうなると日本スタイルを地で行く私がまるで損をしているような気がしてきたので、近頃は私も同じく韓国スタイルで応じることが多々あった。 だから今回の事も怒りはしなかったが、さすがに少し動揺した。 いずれにせよエントリーした後とあっては、もはや選択の余地はない。かくして料理大会出場への幕が切って落とされたのである。 「じゃあ、まずこれをむいて」と渡されたのはニンニクの山。 瑞山(ソサン)市のニンニク祭りで行われるニンニク料理大会に出場するのだそうだ。瑞山は六片ニンニクというニンニクの産地である。 私はこの時、瑞山という地名やら六片ニンニクという単語を初めて聞いた。頭の中がはてなマークで一杯になりながら、ひたすらニンニクをむいてゆく。 大会にエントリーするのはメールをくれたお姉さんと彼女の妹さん、そして私。 料理が上手な妹さんが腕試しに料理大会へ出場してみたい、という話から今回のニンニク大会出場となったのだが、チームは3名編成で、お姉さんを含めてもあと1人足りない。だから一番暇そうな人間で、且つ断りそうもない私に白羽の矢が立ったわけだ。 確かにその読みは当たっている。私はノーと言わない暇な日本人学生である。ただし料理はできない。その事を言うと、彼女は「全く問題ない。料理するのは妹で、私たちはただ補助するだけだから」と。料理はできなくてもいいとは言え、大切な料理大会でしくじるわけにはいかぬ。日本代表として立派にお勤めを果たさなくては、とその日は真剣にニンニクを切る練習に精を出した。 そんな私の真面目な気持ちをよそに、韓国人姉妹は入賞したらどうしようなどと、いらぬ心配話に花をさかせている。しかも手にはビールを握りながら。 さっさと料理の練習を片付けてその後でビールを飲めばいいのに、それでは彼女たちはつまらないのだ。今を楽しまねば。そうやって彼女たちは少しずつ本来の目的を見失っていく。よくある韓国スタイルである。 最初はそんな韓国人のライフスタイルをなんとも遠回りな生き方だなと思っていたが、見ているととても楽しそうなので、今では私もすっかりその道草につきあっている。 今晩もまたいつものが始まった、と思いながら、私も練習の手を休めて同じようにビールに手をのばす。しばらくすると、お母さんやお兄さんも家に帰ってきた。そして家族で本格的な宴が始まった。かくして料理練習はどこぞのものとなった。 私はテレビドラマに出てきそうな典型的な韓国家庭の食卓の中にごく自然に座っていた。彼女をはじめ、彼女の家族は私を外国人だからといって特別視したり、無視したりはしない。まるで私が前からそこにいた家族の一員であるかのように普通に接する。お母さんは私を見ると「あ、来たの」とか、「ごはん食べたの」とか家族に対するような言葉をかける。そして私の目の前では韓国家庭の日常の光景が繰り広げられる。一つ屋根の下にあつまった者同士が共に食べ、杯を交わす。私はそんな単純だけど、あたたかい雰囲気が大好きである。これが韓国人の懐の深さ、「情」の深さなのだ。 そんなこんなで、きちんとした練習もままならないまま、料理大会当日を迎えた。瑞山という初めて聞く土地へ行き、料理大会に出場する。なんとも初めてだらけの経験である。私はこれからの展開を全く想像できずにいた。しかし怖さはない。家族のような彼女たちと一緒だから。 会場では早くから他の参加者が準備を始めていた。彼らを見て私たちは少したじろいだ。なぜなら他の参加者は全員、シェフなのである。厳密に言うと、シェフに見える。 参加者全員があのよくシェフが着ている白いシェフコートを身につけ、コック帽をかぶっていたのである。そして各テーブルにはプロが使うようなバーナーやら、見慣れない食材などがずらりと並んでいた。参加者のほとんどは料理学校の生徒や、調理師見習いの人達だった。 私たちは絵に描いたような素人代表とでも言うべき様態であった。服だってシェフコートなんて勿論無くて、お姉さんの家にあった普通の白いシャツで間に合わせているし、テーブルの上には家で使っていたカセットコンロやリサイクルの空き容器、ネギの半分切ったやつなぞが並んでいる。家の台所をそっくりそのまま会場に持ってきてしまっていた。 少し救われたのは、しばらくして参加者全員にシェフがかぶるような白い帽子とエプロンが配布された事だ。コック帽を前・横を間違えてかぶっているのも知らずに、私たちは一端の料理人になった気分で準備を始めた。 大会開始直前、メインで料理をする妹さんが「さあ、これからは楽しもう。家で私たちはあんなに楽しくできたじゃない。それと同じ。私たちのテーマはとにかく楽むこと。家に居る時と何も変わらない。」と言って笑った。 続いてお姉さんも「そうそう。違うのはビールが手元に無いことくらい。これが終わったらおいしいビールを飲もう!」と付け加える。少し会場の気分に飲まれそうになっていた私たちは急に大笑いした。もうここは会場ではない。我が家の台所。ふと懐かしい感覚がよみがえる。そうだ、楽しめばいい。そして大会はスタートした。