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トップ > JTB地域交流トップ > JTB交流創造賞 > 受賞作品 > 交流文化賞(組織・団体対象) > 小さな町に大きな図書館ができてから・・・・
遅筆堂文庫ができるきっかけ 川西町に住む青年たちが、井上さんへ講演会依頼の一通の手紙を出したことから、すべてが始まります。講演会は昭和57年に実現し、井上さんとの交流が始まります。 その時、井上さんから小松に劇場を作りたいという申し出がありましたが、棚上げとなりました。しかし、「こまつ座」という劇団が昭和58年に東京に誕生。山形でのこまつ座公演が始まりました。 さらに交流は進み、図書館を作りたいという青年たちの思いを井上さんが汲みとり、蔵書7万冊が川西町へ運ばれ、『遅筆堂文庫』が作られました。すべて井上さんの蔵書で、「農村環境改善センター」略して「農改センター」の2階の4室に収められ、本のある広場として、これから繰り広げられる様々な活動の拠点になります。 遅筆堂文庫の蔵書数は、現在では22万冊に増え、すべて井上さんの寄贈の本です。毎月、ダンボールで10箱、年間5千冊以上の本が届きます。本ばかりか最新の週刊誌、月刊誌も届きます。 平成6年「川西町フレンドリープラザ」ができました。演劇専門ホール(712席)と遅筆堂文庫が入る複合施設です。井上さんと青年たちの夢見た劇場と図書館が、小さな町川西町に誕生しました。さらに平成20年9月には、山形市に「遅筆堂文庫山形館」(3万冊)ができ、複合館として522席の「シベールアリーナ」ができました。
●第1回遅筆堂文庫生活者大学校。1988年8月15日〜18日 「農業講座」 217人受講 授業形式で3泊4日。受講者は、農業者、学生、主婦、会社員、公務員など、年齢層も幅ひろく、青年たち30人が実行委員でカリキュラムを作りました。 昼食、交流会は、実行委員の食事班による手作りです。いっぺんにたくさんの人がどうしたら食べられるか、が大きな課題。事前に、材料の量、動線、調理方法など検討する食事班はたいへんな作業に取り組みました。講座を進める進行班。講座の資料を作るテキスト班。講座を録音・ビデオに撮る記録班、会計班、宿泊担当班、送迎班、「1987年米酷」という映画の上映班。奉賛獅子祭り参加を担当する班。 受講者はそば打ち実習、もち米をふかして餅つきも体験。朝5時から「なすもぎ」「スイカもぎ」「乳牛の乳しぼり」「稲作の共同防除」など農業体験してもらい、逆に農家の人にはゆっくり「朝寝」を体験してもらいました。 ●第2回1989年4月29日〜5月1日 2泊3日 「宮澤賢治・農民ユートピア講座」 280人受講 講座はゴールデンウイークのため受講者が殺到。受講者が入りきるか不安な開校でした。 ●第3回1990年8月16日〜19日 3泊4日 「地球と農業」 204人受講 「環境問題」を考え、使い捨て食器はやめて、地元の弁当屋の協力を得て昼食は黒塗りの弁当箱で、川西町の食材を使ったおいしい弁当を作ってもらいました。 ●第4回1991年8月15日〜18日 3泊4日 「続・農業講座」 209人受講 講座のまとめをニュースとして発行する新聞班が誕生。講座の内容を速報で伝える仕事です。担当は夕食を一緒に食べられない。さらに寝られない。短時間で講座をまとめる。ワープロを早く打つ。きれいに印刷する。たいへんな仕事をやることになりました。 ●第5回1992年8月14日〜17日 3泊4日 「『協同』から暮らしのあり方を考える」 220人受講 課外授業は川西町を歩いて楽しむウォークラリー。受講者がグループを組んで、炎天下歩きました。二日目、川西町のお祭り・獅子祭りの見学・ダリア園の見学。 ●第6回1993年8月14日〜16日 2泊3日 「地域から文化を考える」 214人受講 ベテラン農家の8人が稲わらを持ってきて、わらじ作りのわら細工。草木染め、そば打ち、餅つき、下小松古墳見学、花笠踊りを体験。 ●第7回1994年8月14日〜16日 2泊3日 プラザと農改センター「農民と芸能」 249人受講 劇場と図書館が一体となった川西町フレンドリープラザが出来上がりました。総工費29億円。玄関を入ると右側が712席の演劇専門ホール。左側が遅筆堂文庫です。井上校長体調不調で欠席、急きょ、校長代行を永六輔さんが務めてくれました。こまつ座「頭痛肩こり樋口一葉」の演劇鑑賞を加え、「花笠踊り」は必修科目。川西町主催の花笠パレードに大集団として連を作り参加しました。 ●第8回遅筆堂文庫生活者大学校 1995年8月14日〜16日 2泊3日 プラザ「水と土の文化」 399人受講 こまつ座「黙阿弥オペラ」の演劇鑑賞。花笠パレード参加。 ●第9回1996年5月4日〜5日 1泊2日 プラザ「水と土の文化/都市の責任・農村の責任」 362人受講 川西町の5月の新緑の頃に開校。受講者の参加しやすい日程。NHK、45分番組の「金曜フォーラム」で取り上げられました。「井上ひさし農業講座」(家の光)が刊行され読まれました。 ●第10回1997年4月26日〜27日 1泊2日 「憲法と何か」 231人受講 会場をプラザから農改センターに戻しました。狭い会場ですが受講者と実行委員の一体感がありました。 ●第11回1998年4月25日〜26日 1泊2日 「競争と共生」 222人受講 リサイクルシステム実践の体験発表。生ごみを堆肥に換えるシステムです。 川西町商工会女性部の協力で川西町の地酒・菓子・名物の玉こんにゃくなど盛りだくさんの販売が始まりました。地元書店の応援で、普段、書店では求めにくい講師の書籍がならぶ臨時書店も繁盛でした。 ●第12回1999年4月25日〜26日 1泊2日 「憲法とは何か パート2」 209人受講 新幹線切符を団体チケット扱い。バス送迎を組み入れ、参加しやすい体制に。 ●第13回2000年9月15日〜17日 2泊3日 プラザ「ひょっこりひょうたん島」 524人受講 テレビ放送は昭和39年〜44年。ひとみ座から人形を運び、実際に見たり、使い方を教えてもらう講座へ。「ひょっこり合唱隊」として大学生6人が登場。1人がひとみ座に就職。昼食に山形の秋の風物詩の芋煮会。 ●第14回2001年11月17日〜18日 「グローバリゼーションとは何か」 201人受講 ●第15回2002年11月22日〜23日 「ファーストフードとスローフード」 248人受講 ●第16回2003年11月22日〜23日 「『まるかじり日本経済』年金・銀行・そして日本経済」 243人受講 川西町の温泉「まどか」に宿泊。 ●第17回2004年6月26日〜27日 「地域・スポーツ・文化」 244人受講 山形の特産品サクランボの時期の開校。実行委員の園地から朝採った新鮮サクランボの山盛りを見て卒倒した受講者、食べてまた卒倒。6月の山形はサクランボです。 ●第18回2005年6月25日〜26日 「教育と食」 274人受講 第1回〜17回の受講料は1,000円。18回目〜1,500円と値上げ。 ●第19回2006年9月16日〜17日 「ボローニャと川西町」 266人受講 「川西町グリーンツーリズム研究会」が誕生。川西町の食材の料理がさらに提供されることになりました。 ●第20回2007年12月8日〜9日 「しごとと憲法」 222人受講 ●第21回2008年7月19〜20日 「おいしい餃子の作り方」日本の食糧を考える 249人受講 ●第22回遅筆堂文庫生活者大学校 2009年11月21〜22日 校長の体調不調で休校としました。
気がつけば22年 この22年間で川西町にはおいしいものがあると気がつきました。「コメ・水・空気・漬物・牛肉・お酒・こんにゃく・・・・」です。 開校前夜は必ず徹夜でしたが、手書きからワープロ、ワープロからパソコンと管理システムが変わり、名簿作り・宿泊先名簿作成が楽になり、開校前夜の徹夜はなくなりました。
地域とのつながり・グリーンツーリズム研究会誕生 川西農協からコメ、米沢牛の提供もあり、交流会のバーベキューで堪能しました。酒蔵の樽平酒造からは、「雪むかえ」という冷酒もいただきました。第19回からグリーンツーリズム研究会が誕生。小松駅での受講者の出迎えや交流会での川西町食材を使用した料理の提供が始まりました。
継続は力 川西町とこまつ座、行政と民間の両輪を動かすエンジン役が実行委員会です。この三位一体の22年でした。めったにない事例として、奇跡的な関係を保っています。 6年前には、生活者大学校の講師を務めた農家の原田さんが川西町の町長となり、遅筆堂文庫の本は22万冊に、青年だった実行委員が50代に、歳月の変化があります。 22年間継続してきたことは私たちの大きな誇りです。さらに生活者の視点から勉強をすることにより、毎年200人以上の受講者が集まり、川西町に来て、滞在して、様々な体験をして帰ります。そこで恋も生まれ、お嫁さん、お婿さんも誕生。新しい生活者大学校の動きもあります。また、福島、鎌倉に生活者大学校の分校ができて活動しています。 さらに、生活者大学校の受講者がこまつ座の公演を見てくれます。全国を回るこまつ座にとって心強い味方になってくれます。フレンドリープラザでは、生活者大学校のOB・OGが演劇学校のコアの役者となったり、生活者大学校の運営シナリオを書いていた実行委員がテレビ脚本を書いて大賞をとったりと様々なことが横へ広がっています。