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トップ > JTB地域交流トップ > JTB交流創造賞 > 受賞作品 > 交流文化体験賞 一般部門 > ベドウィンの教え
1 旅の始まりに 部屋というのは、気がついたら汚れているものである。掃除のときに、あれはあそこ、これはここ、と決めたのも束の間、翌日には、‘例外’が出来上がってしまうのが常である。そして、その例外の積み重なりが、どこに何があるかも分からない「宝探し」みたいな自室を作っていくのだ。だが掃除の楽しみは、実はそこにあると言っても過言ではない。 先日、久々に重い腰を上げて部屋の大掃除を開始した。大掃除と言っても、なんのことはない、勉強しようとしてもやる気が出ないので机の上の整理を始めると、衣替えの季節とも相まって、部屋の大掃除が始まってしまったのだ。よくあることである。さて、そんなこんなで始めた大掃除で、僕は「お宝」を発見した。それは、中身が何かもわからない袋の中から出てきた1冊の黄色いノート。黒のサインペンで汚く「旅行記」と書かれたそれを手に取り、ページをめくる。たった1ページ28行の中にはたくさんの思い出が詰まっていて、僕は、部屋に座り込みその旅行記を読み始めた。 ひとつ、忘れていた。お宝の眠る部屋は、片付かないこと必至である。
2 これから行く場所について(と、自分について少し) エジプトと聞くと、ピラミッドや砂漠やナイル川を思い浮かべる人が多いと思う。確かに、数千年もの昔に建造され、世界の七不思議のひとつにも数えられているようなピラミッドを見ないのでは、エジプトに来たとは言えないというのもうなずける話だ。だが今回、あえて私はカイロやルクソール、アスワンなどとは違う場所の魅力を伝えたいと思う。その場所とは、シナイ半島。そう、スエズ運河を渡り、イスラエルやヨルダンなどと国境を接するあの半島のことだ。半島の南端は、サルム・エル・シェイクなど、ダイビングやシュノーケリングが有名なリゾート地ではあるが、ここで書きたいのは、その少し手前、聖カトリーヌでのベドウィン民族・サラとの出会いと、モーゼ山へご来光を拝みに早朝登山をしたときのことだ。 僕の旅行スタイルは、バックパッキング。リュックサックひとつに着替えや必要な携行品を詰め込み、ほとんど計画を立てず、ハプニングに任せ旅をする。同じ町に5日間ほど滞在することもあれば、一日と滞在せずに移動することもある。同じようなバックパッカーが集まる安宿に泊まり、そこで出会った旅人たちと飲み、語り、夜更かしをする。お互いに情報交換をして、出来る限り現地の人々が集まる場所、現地を体験できる場所を探す。時には一緒に旅もする。僕はそんな束の間の「自由」を感じることが好きなので、旅行のときはいつもこのスタイルである。
3 旅日記 2005年9月13日。0時30分の飛行機でエチオピア、ボレ国際空港からエジプト、カイロ国際空港へと旅立った。今回の旅行は1人ではなく、バックパッキングが初めてだというIさんと一緒だ。6日間の旅程は、1日目にカイロ市内に宿泊。2日目の朝からシナイ半島へ移動。3日目の朝にモーゼ山を登って、その日のうちにカイロへ戻り、夜行列車を使って、ルクソールへ移動。4日目の朝ルクソールに到着して、その日の夕方に夜行列車でカイロに戻り、5日目にピラミッドなどを一日観光。6日目の午前中に市内を軽く観光して、夕方には帰国、という今思えば、無謀というか余裕のない弾丸ツアーだった。 1日目の夜に、アッバセイヤというバスターミナルへ向かい、翌日の聖カトリーヌ行きバスのチケットを買う。早速お釣りを誤魔化されそうになったので猛抗議。50EP(=エジプシャンポンド。1EPは約20円)くらいだけれども、エジプトの物価で考えたら、安宿に1泊できる料金なので巻き上げられるわけにはいかない。学生の貧乏旅行は1円でも値切るところから始まるのだ。 2日目。朝11時にアッバセイヤからバスが出発する。ここから所要時間は約6時間。その間、両隣で見える風景は砂漠か海だけ。乗客で僕たちだけが日本人であれば、退屈なのも相まって、自然と彼らとの会話が生まれてしまう。僕らは、同じバスに乗っていた軍人と仲良くなり、途中のトイレ休憩の時に購入したパンやお菓子までもらった。 さて、バスでひた走ること6時間。19時ごろ、聖カトリーナから数キロほど離れたエルマルガの町に到着。普段は、バスを降りてからすぐの客引きは無視するのだけれど、1人15EP(約300円)で、お茶も無料、インターネットも無料、シャワー付きと言われると、「見るだけなら…」となるのは仕方がない。バスを降りてからずっとついてくるサラの車に乗って、少し離れた静かなホテルへ向かった。