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優秀賞 |
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「どこかに行きたいね」
去年、梅雨の日曜日。漠然とした会話をしていた私達。行き先は私に任せると親友のタキは言う。テーマは『正しい日本の夏』に決定。いくつか挙げた候補地の中で、私は宮崎県が気になった。九州地方には、私達の求めている夏があるような予感がした。身近で宮崎県に行ったことがある人がいないことも理由のひとつ。何もなさそうな所で、何かを見つけるのが好きだ。事前情報が少なければ少ないほど、私の力は発揮される。
お盆が明けて数日後、私とタキは期待を胸に羽田を出発した。雨女の私は、ほとんどの旅行が雨だ。その日もお決まりのように雨が降り続く。しかも台風で荒れていた。宮崎空港に着いた私達は、予定変更を迫られる。着いた日は下り電車に乗って、海に行く予定だったのだ。危険ですので海に近付かないで下さいと観光相談所で警告を受ける。
「どうしようか…」
電車の本数が少ないので、早く決めないと時間が惜しい。ガイドブックに慎ましやかに載っていた、美々津という地名が目に止まる。手漉き和紙、古い町並み…。多分、寂れた町だけど何か絶対あるはず。日豊本線に乗り、私達は美々津に向かった。
美々津駅に到着。私達の他には一人だけ下車した。駅前に到着したバスには運転手の姿しかなく、客は誰も乗っていない。そして誰も乗らずに出発した。案の定、寂しい雰囲気が佇んでいる。
「何も無いね」
手漉き和紙の見学が可能とガイドブックに載っていたので、とりあえずそこに向かう。道路沿いに古い木造の民家が並び、私達はカメラのシャッターをきる。雨がやんできた。濡れた道路をたまに車が通り過ぎる。
「あ、あれだ」
木造の平屋に『市指定 無形文化財 美々津和紙』と看板が掛かっている。ドアはぴっちり閉まっていて、物音ひとつしない。ここまで来て、見学できないのは悔しい。張り紙どおりに裏に回ると、たくさんの植物に囲まれた住居があった。私達がどうしたら良いか分からずにまごまごしていると、窓越しに年配の女性と目が合った。表に出てきてくれたその女性に、見学したい旨を伝えた。今はちょうどお昼休み時間で、作業はしていないとのこと。
「そうですか…」
私達は大人げない残念な顔をした。
「どこから来たの?」
とても優しい目だなと思った。
「東京です」
「ちょっと待っててね」
そう言って、奥に姿を消した。
「ちょうどお昼だもんね」
「私達もお腹空いたね。近くに食べる所あるかな」
しばらくすると、先ほどの女性と職人らしき男性が出てきた。
「せっかく東京から来たんだから、見ていきなさい」
男性は佐々木寛治郎さん。女性は予想通り、佐々木さんの奥さん。私達は作業場に案内された。しっとりとした空気。薄暗いけれど、窓からは優しい光が差し込んでいたのが印象的だった。緊張感と柔らかさが共存している不思議な空間。壁には佐々木さんの手漉き和紙に描かれた絵や書が、たくさん貼られている。全国から送られてくる作品達は、和紙の可能性を広げてくれる個性的な物が多い。そして、佐々木さんが手漉き和紙の卒業証書を棚から取り出した。近くの小学校で使われているらしい。味気ない自分の卒業証書を思い出すと羨ましくなった。 |
繊維が入った白く不透明な紙料の中に、簀桁(すげた)を浸ける。両手でしっかりと握り、前後左右に緩やかに動かす。液体から固形の姿に変わった紙を、後ろにどんどん積み重ねてゆく。
静かな、一定のリズム。目に見えない、佐々木さんしか知らない法則がそこにはあった。物を真剣に作っている人の横顔が、こんなにも美しいなんて。 |
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私とタキは、手漉き和紙を体験させていただくことになった。佐々木さんの説明どおりに簀桁を動かすつもりが、うまく動かない。紙料は顔に跳ねるわ、手元はぐらぐらして均等に紙が漉けない。もちろんタキの姿も見ていられたものではなかった。私達が一人前の職人になるには、長い年月が必要になりそうだ。作業場では、手漉き和紙のレターセットなども販売しいて、私達は長い時間をかけて吟味した。
そろそろ失礼しようと御礼を言った。空きかけていたお腹が、また思い出したように空腹を訴える。
「近くに美味しいお店があったら、教えていただきたいのですが」
「この辺、何も無いのよ。ドライブインも潰れてしまったし…」
奥さんが気の毒そうに言う。
「じゃあ、うちで食べていったらいい。何かあるだろ」
佐々木さんは奥さんに言った。
私とタキは予期せぬ展開に顔を見合わせた。せっかくなのでお言葉に甘えることにして、自宅にお邪魔した。
テレビがついている、普通の家の普通の台所、リビング。でも、何かが違う。夏の光がたっぷりと差し込む窓。庭には植物がぎっしりで、その中には和紙の原料となる楮も含まれる。遠くに見える橋の上を通る日豊本線。蝉の声が東京よりも洗練されている感じさえする。私達は向かい合わせに座り、たまに目を合わせ何だか嬉しくて、笑いをこらえ麦茶を飲む。そのうちいい匂いがしてきて、料理が運ばれてきた。豚の生姜焼き、トマトサラダ、煮物…。空き過ぎたお腹を満たしていく素朴なご馳走は美味しくて、そして優しくて温かかった。
食後のお茶を飲みながら、奥さんといろんな話をした。私とタキは美大時代の同級生で、誕生日が一緒だということ、奥さんは、ひょっとこ祭りや美々津の町、和紙について話してくれた。美々津和紙は機械製法におされ、現在では佐々木さん一人となっているらしい。
次女の方がお継ぎになることを聞き、安心した。本当にいい物は、なくなってほしくない。
「珍しいのよ。あの人が他人に和紙を漉かせるなんて。あなた達よっぽど気に入られたのね」
奥さんがにっこり微笑んだ。そういえば、さっき佐々木さんが言っていた。見学者の中には、簡単にできると思って非常識な言葉をかける人もいるらしい。それを聞いて無性に腹がたったのだ。ゼロから物を生み出すことに、価値を見いだせない人は意外と多い。今は誰でもコンピューターを使って、簡単に物を作ることができる。別に、大量生産的な物はあってもいい。しかし同時に、手作業や頑固なこだわりから生まれる物が、どんなに素晴らしいかを知るべきだ。
二回目の御礼をして、私達は佐々木さんの家を後にした。強い日差しの下、古い町並みを目指す。沢蟹を見かける度に歓声をあげて近付いたり、珍しい物があれば写真を撮り、海では砂浜に絵を描いたり、寄り道ばかりしていて進むのに時間がかかる。私達は気が付かないうちに『正しい日本の夏』を満喫していた。 |
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しばらくすると、白壁の家並みが見えてきた。出格子、 虫籠窓など京風の趣があり明治、大正、昭和初期の商家が数多く残されていて、タイムスリップした気分になる。この辺りは、重要伝統的建造物郡保存地区に指定されている。相変わらず人は居なくて、私達の貸し切りみたいである。地元名産が売っている美々津まちなみセンターでコーヒーを注文すると、一緒に「お船出だんご」が出てきた。もちっとした噛み心地、上品な甘さで美味しい。この団子の歴史は古く、神武天皇が美々津より大和へと旅立つ際に作られたものだという。畳の部屋でゆっくり堪能した後、近くの歴史民族資料館に行くことにした。会計の時に、中年の女性店員さんに話しかけられる。
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「どこから来たの?」
「東京です」
九州の人の視点だと、東京はとても遠いのだろうか。
ここでもまた、優しい目をしてくれた。
「帰りは美々津駅から電車に乗るの?」
「はい。ここに来る時も美々津駅から歩いてきました」
「えっ! あんなに遠いのに?」
寄り道をしながら楽しく歩いていた私達は気が付かなかったのだけど、美々津駅からここまで徒歩三十分もかかるらしい。車で帰りがてら駅まで乗せてあげるから、五時にまたここにいらっしゃいと言ってくれた。 |
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歴史民俗資料館は廻船問屋「河内屋」を修復して、展示室として使用されている。趣のある室内で、当時の暮らしの様子を知るのは格別だ。この懐かしい気持ちは何だろう。二階の部屋からは荒れた海が見えた。濁っているのに、透明感があるのが不思議だ。さらに短い階段を上がると図書室があった。古い本ばかりで、ほとんどが変色してしまっている。タキはさっそく本に没頭。
約束の時間まで町を歩いた。時間が止まったというか、神隠しにあってみんなどこかに行ってしまったのではないかという程、人の気配が無い。美々津は大阪方面への積み出し港として、江戸時代から明治時代に全盛をきわめた。その後、日豊本線が開通し、さらに国道10号線が開通すると、港町としての美々津の役割はなくなり急速に寂れていった。「こんなに素敵な場所なのに、何でみんな来ないんだろう」
私とタキは何度このセリフを口にしたことか。もっと多くの人に美々津を知ってもらいたい気持ちはあるのに、過度に賑やかになってしまったら、それはそれで困るし悔しい。矛盾しているけれど、お気に入りの場所なんてそんなものだ。きっと誰でも。
まちなみセンターに戻り、車に乗せてもらった。やっぱり駅までわりと距離があったので、私とタキはびっくりした。息子夫婦が住む北海道まで、この車で運転して行ったのよ、と店員さんはころころ笑った。美々津の女性はみんな笑顔が素敵で、優しさにも余裕がある。こんな大人になりたいと思った。
美々津駅に着くと、信じられないくらいの豪雨になった。再び、雨女の本領発揮。
「ドリフみたい」
と笑うタキの顔はとても満足していた。私も同じ顔をしていたのかもしれない。
私達が求めていた『日本の夏』は、確かにそこにあった。目に見える貴重なものと見えない大切なものが存在していた。あの日から、だらけた自分を自ら叱咤する時は、佐々木さんの横顔を思い出す。
後日、焼き増しした写真と心ばかりの御礼の品に手紙を添えて、佐々木さんに送った。すぐに封書が届き開けてみると、プレゼントの和紙の便箋、手紙と写真が入っていた。
「昨年十六年九月二十四日、県の指定をうけました」と手紙の文中にあった。同封の写真には見覚えのある作業場の入口に『県指定 無形文化財 美々津手漉き和紙』と書かれた真新しい看板が掛かっていた。そう、市指定から県指定に認定されたのである。やっぱり本当にいい物は認められるのだ。私とタキの気持ちが届いたような気がして嬉しかった。懐かしさに浸ろうと美々津の写真の束を探しながら、私が思い出していたのは、佐々木さんの真剣な横顔と豚の生姜焼きの味だった。 |
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女性だけの旅、そして旅先で現地の人々との触れ合いをさりげなく、自然体で表現している。 |
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今回このような賞を頂き、驚きと同時に大変嬉しく思っております。私は国内を中心に旅をしていますが、その中でも美々津の町で過ごした一日は特別に素晴らしく、まるで物語の主人公になったようでした。美々津は名前のとおり美しい町です。暮らしている方々も地元を愛し、静かで穏やかなプライドを持ち生活されているように感じます。定期的に訪れたい場所のひとつになりました。私の微々たる発言をきっかけに、美々津の名が国内を問わず海外にまで広がることを願います。これからも独自の視点を大事にして、自分だけのガイドブックを作る旅を続けていくつもりです。本当にありがとうございました。
鈴木 幸子 |
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